烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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正岡子規終焉の地 子規庵

 明治期の俳人、歌人、国語学研究家で、日本の近代文学に多大な影響を及ぼした正岡子規が晩年に暮らし、亡くなった場所である子規庵は根岸にあります。
 明治27年に子規はこの地に移り住み、故郷松山より母と妹を呼び寄せます。
 結核を患っていた子規は子規庵で療養しながら句会、歌会を行っています。
 明治35年に子規は亡くなりますが、その後も子規庵には母と妹が住み、句会、歌会の世話をつづけます。しかし、大正12年の関東大震災の影響もあり、昭和元年に解体を伴う大規模な修繕を行っています。
 昭和2年に子規の母が亡くなると、子規の門弟を中心とする「子規庵保存会」が建物を管理し、遺品などを保管するために土蔵も併設されます。しかし、同20年に第二次世界大戦の空襲により子規庵は焼失してしまいます。ただ、幸いにも土蔵は被災を免れたため、貴重な遺品が現在も残されています。その後、子規庵は昭和25年に再建され、同27年に東京都文化史蹟に指定されています。
 なお、正岡子規は野球が好きでベースボールを「野球」と名付けた人物とも言われていますが、囲碁も大変好きだったと言われています。



               

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子規庵




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子規庵の土蔵




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子規の句碑




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子規も使った共同井戸









東京都台東区根岸2丁目5−11

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| 明治・大正時代 | 20:39 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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