烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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石橋湛山の墓 善性寺

 東日暮里五丁目にある善性寺は、長享元年(1487)に建立されたと伝わり、寛文4年(1664)に六代将軍徳川家宣の生母長昌院が葬られ、家宣の弟松平清武もここで隠棲したため将軍が度々のお成りする等、将軍家と関係の深い寺でした。上野戦争においては彰義隊の屯所になっています。また、境内には安土桃山時代の作と伝わる「不二大黒天像」があり多くの信仰を集めています。


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善性寺山門

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不二大黒天像

 境内の墓地に第55代内閣総理大臣・石橋湛山の墓がありました。
 石橋湛山は戦前はジャーナリストとして日本の植民地政策を批判するなどして活躍し、戦後は政治家へ転身。昭和21年に日本自由党から総選挙に出馬して落選しますが、第1次吉田内閣の大蔵大臣として入閣します。当時、終戦直後で経済が混乱する中、経済の立て直しに尽力します。特に、日本が負担していた進駐軍経費負担をGHQと渡り合い2割削減させたため石橋は国民から「心臓大臣」と呼ばれます。しかし、この問題でアメリカと対立し、GHQにより公職追放される事となります。この公職追放には吉田茂が関わっていたと言われ、昭和26年に追放が解除されると、吉田の政敵である自由党に入党し鳩山派の幹部となっています。
 昭和29年に鳩山一郎が総理大臣となると石橋は通商産業大臣に就任。ソ連との国交正常化や中国との貿易推進を推進します。
 昭和30年に保守合同により、日本民主党と自由党が合同し自由民主党が結成されると石橋も合流。翌年、鳩山一郎の引退に伴い行われた総裁選で、親米派の岸信介と激戦の末、勝利し第55代内閣総理大臣へ就任しました。アメリカは共産圏との関係強化を進める石橋内閣樹立に驚愕したといいます。ところが、石橋は総理大臣就任の2ケ月後に自宅で倒れます。軽い脳梗塞だったそうで命に別状はありませんでしたが、そのまま退陣することとなりました。そして後任として岸信介が総理大臣へ就任しています。
 総理退陣後、石橋は症状が徐々に回復し政治活動を再開。従来の主張であった中国との関係強化に尽力し、後の「日中共同声明」実現への道を切り開いています。

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石橋湛山の墓

 善性寺には、この他、相撲で69連勝の偉業を達成した名横綱双葉山の墓があるそうですが確認できませんでした。また、墓地には戊辰戦争戦没者の碑や彰義隊士の墓もありました。

荒川区東日暮里五丁目41番14号

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