烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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「松陰終焉の地」碑 十思公園

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十思公園と園内の「石町時の鐘」


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「松陰終焉の地」碑




 東京メトロ小伝馬町駅の近くにある「十思公園」は、江戸時代には「伝馬町牢屋敷」があった場所です。

 2618坪という広大な土地に旗本達を収監する揚座敷、御家人や僧侶等を収監する揚屋、庶民を収監する大牢等、身分によって収監される場所が分かれていて、処刑場も兼ね備えていたそうです。

 蛮社の獄により永牢となった高野長英や安政の大獄により長州から移送された吉田松陰も収監されました。

 吉田松陰は、安政6年(1859)に、この地で斬首されました。老中暗殺計画を告白したのが理由だったそうです。死に際しては実に堂々とした振る舞いで胸を打たれたと以前、平河天神近くの屋敷跡を紹介した死刑を執行した山田浅右衛門は回顧しています。

 公園内には「松陰終焉之地」碑を初めいくつかの松陰関係の碑が建立されています。

 この他、公園内には「石町時の鐘」が設置されています。江戸時代に時を知らせていた鐘で石町(現在の日本橋室町)にあったものを移設したそうです。(櫓はコンクリートに変わりましたが) 石町が江戸で最も古く時の鐘が設置された場所だったそうですが、火災等で破損したため、現在の鐘は宝永8年(1711)に改鋳さたものだそうです。

 伝馬町老屋敷では死刑執行を行う時に「時の鐘」を合図としていたそうで、罪人の余命を想い、ワザと鳴らすのを遅らせたこともあったと伝えられています。松陰も最後にこの鐘の音を聞いたのでしょうか。


   日本橋小伝馬町5-2

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| 幕末・明治維新 | 06:31 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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