烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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吉田松陰幽囚ノ旧宅と松下村塾

Dsc_1833

吉田松陰幽囚ノ旧宅




 吉田松陰は文政13年(1830)萩藩士の杉百合之助の次男として生まれ、6歳の時に百合之助の次弟で、萩藩の山鹿流兵学師範を代々務める吉田家の養子となります。


 その後、百合之助の末弟の玉木文之進に学び、11歳で藩主毛利敬親の前で「武教全書」の講義を行う程の秀才となりました。


 萩を出た松陰は日本各地を遊歴し勉学に励み、江戸では佐久間象山に師事します。


 安政元年(1854)ペリーが伊豆下田にやって来た時、西洋の進んだ文明を学ぶため船に乗り込み密航を企てますが拒否され、江戸の伝馬町牢屋敷に投獄されます。その後、地元萩に送られ藩の牢獄「野山獄」に1年2ヶ月、繋がれた後に実家の杉家に幽閉されました。




Dsc_1836

松下村塾




Dsc_1827 Dsc_1828

松下村塾の講義室(左)と後に増築された部屋(右)




 実家の杉家に幽閉された松陰は、その部屋で家族や近隣の人々に「孟子」の講義をします。それが評判を呼び受講者が増えたため、納屋を改装して塾舎を造りました。これが有名な「松下村塾」です。


<p> ただし、「松下村塾」自体は、それ以前から存在していました。松陰も学んだ叔父の玉木文之進が始めた私塾がそうで、松陰の外叔、久保五郎左衛門がその名を継承した後、松陰が名前を継承したのです。


 塾生は50人ほどいたそうです。安政の大獄により塾は1年ほどで廃止されますが、久坂玄瑞、高杉晋作、伊藤博文等、その後の日本を動かす多くの人々を輩出しました。しかし、建物はその偉業と比べるとものすごく小さいことに驚かされます。


 「松下村塾」は国の史跡に指定されていて、2008年にはユネスコの世界遺産登録に向けて「九州・山口の近代化産業遺産群」を構成する建物として萩城下町とともに暫定リストに掲載されました。



  松下村塾:萩市椿東松本1537


  (吉田松陰幽囚ノ旧宅は松下村塾と並んで建っています)





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