烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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「松下村塾発祥之所」玉木文之進旧宅

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玉木文之進旧宅




 松陰神社駐車場から600mほど離れたところに「玉木文之進旧宅」があります。

 玉木文之進は、吉田松陰の父杉百合之助の末弟で松陰の叔父にあたります。文化7年(1810)萩藩士杉七兵衛の三男として生まれ、11歳の時に杉家より家格が上の玉木家の養子となり跡を継ぎます。
 学識に優れ、山鹿流の兵学者でもあった玉木は天保13年(1842)に自宅で塾を開き近隣の子供の教育を行います。それが「松下村塾」です。松陰も塾に通い厳しく教育を受けたそうです。


 その後、玉木は各地の代官を歴任することとなり塾は閉鎖されますが、松陰の外叔父にあたる久保五郎左衛門が開いた私塾が名前を継承します。そして、実家に幽閉された松陰が近隣の人々に行った講義が評判になると久保の塾生も多く参加し、松陰の塾が「松下村塾」と呼ばれるようになったそうです。


 ちなみに玉木家の本家筋は長州藩の支藩である長府藩の藩士・乃木家であり、日露戦争での活躍で知られる乃木希典の生まれた家です。乃木は若い頃に学者を志し玉木のもとへ押しかけ学問を学んでいます。


 玉木文之進は松陰の死にあたり監督不行届として役職を罷免されますが、やがて復帰し尊王攘夷派として活躍した後、明治2年に引退し再び松下村塾で若者の教育に努めます。


 ところが、明治9年に萩で発生した士族による政府への反乱「萩の乱」に玉木の養子・玉木正誼(乃木希典の実弟)を含む多くの塾生が参加します。そのことに責任を感じて同年に自害しました。


 現在も保存されている旧宅の前には「松下村塾発祥之所」という石碑が建っています。




       山口県萩市椿東1584-1



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| 幕末・明治維新 | 05:58 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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