烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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荻生徂徠の墓 長松寺

 三田四丁目の長松寺には江戸時代中期の儒学者・荻生徂徠の墓があります。徳川綱吉の側用人・柳沢吉保に仕え政治的助言も行っていたそうです。
 赤穂浪士の討ち入り後、幕府で浪士の処分が検討されますが、かつての師匠・林 鳳岡を始め多くの儒学者が、その義を称え助命する意見を出しますが、徂徠は、その義は認めるものの、そもそも浅野内匠頭が殿中で吉良に切りかかるという法を犯して処分されたのだから、家臣が再び吉良を襲ったのは法として許されない。もし浪士達を許せば、今度は吉良の息子たちが浪士達を討つ事を止める理由が亡くなる。浪士達の義にこたえるには、武士としての礼をもって切腹させるのが良いと主張します。議論は紛糾しますが最終的に徂徠の主張どおり浪士達の切腹が決まりました。
 徂徠は綱吉の死により柳沢吉保が失脚した後は、日本橋茅場町に私塾を開き徂徠派というひとつの学派を形成します。徳川吉宗にも政治的助言を行っていたそうです。




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山門と本堂




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荻生徂徠の墓




  東京都港区三田3-7-29

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