烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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久我山稲荷神社

久我山稲荷神社は、東京都杉並区久我山にある神社で創建時期は不明ですが古来より久我山村の鎮守として祀られていて、毎年7月24日の夏祭りには湯立て神事「湯の花神楽」が奉納されることで有名です。




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久我山稲荷神社




 境内に建立されている「人心同」碑は李氏朝鮮の政治家で囲碁界とも関わりが深かった金玉均の手書きの書を刻んだものです。
 金玉均は1884年に朝鮮の清国からの独立(属国からの)を目指し甲申事変と呼ばれるクーデターを起こしますが清国の軍事介入により失敗。日本へ亡命することとなります。
 日本政府は清国との関係を気にしたため金玉均を小笠原諸島へ住まわせ実質的な流刑の処置を行います。
 金玉均は、ここで久我山出身で小笠原にて砂糖栽培で成功した飯田作左衛門と出合います。作左衛門は幼くして故郷を離れたため、故郷に残した父親へ孝行が出来ないことに心を痛めていました。自身の身の上と重ねて共感した金玉均は、体は離れていても心は一つという思いを込めて「人心同」の一文をしたためて作左衛門の父へ送ります。その手紙が石碑として久我山稲荷神社へ建立されたのです。
 金玉均はその後、札幌で暮らした後、自由の身となり東京へ戻りますが、1894年に上海へ渡り暗殺されています。




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人心同の碑




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金玉均の署名




 久我山稲荷神社にはこの他、新撰組の近藤勇に関する伝聞が伝わっています。鳥羽伏見の戦いの後、旧幕府軍は敗走しますが、近藤勇は捕えられ板橋にて処刑されます。その首は京都へ運ばれ晒されることになりますが、身体の方は板橋へ葬られました。近藤の親族や門弟たちは板橋に埋葬された遺体を密かに掘り起し故郷へと運びますが、途中、久我山稲荷神社下で休憩したと言われています。




東京都杉並区久我山3-37-14



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| 明治・大正時代 | 07:29 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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