烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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吉田松陰誕生地と高杉晋作草庵跡地顕彰碑

 吉田松陰の墓所のあたりは団子岩と呼ばれ松陰の生まれ育った実家の杉家のあった場所です。


 松陰が生まれたのは天保元年(1830)で、その時に使った産湯の井戸も残されています。


 後に、現在の松陰神社のある所に引越したため建物は残されていませんが、大正時代に間取りを敷石で再現しています。


 生誕地碑は松下村塾門下生であった山県有朋による揮毫です。




Dsc_1873_2 Dsc_1870
吉田松陰誕生地の碑(左)と跡地に再現された間取り(右)



 生誕地跡地からは萩城下と、その先に続く日本海が一望できます。松陰は、いつも眺めながら日本の将来を考えていたのでしょうか。


 現在、墓所と生家の間に像が設置され、遥か遠方を眺めています。




Dsc_1874 Dsc_1858_2
松陰産湯の井戸(左)と松陰の像(右)



 墓所と誕生地を訪れる人のためにある駐車場の片隅に「高杉晋作草庵跡地顕彰碑」があります。


 文久3年(1868)4月に晋作は、藩に10年の暇をもらい、この付近の草庵で夫婦で生活を始めます。師匠・松陰の遺稿を読む等して暮らしていましたが、穏やか生活は僅か2ヶ月で終止符をうちます。同年5月に長州藩が関門海峡で外国船を砲撃した下関戦争が勃発し、惨敗した藩は晋作を呼び戻します。その後、晋作により有名な奇兵隊が創設されたのです。
             



Dsc_1859_2 Dsc_1857
誕生地から見下ろす萩城下(左)と高杉晋作草庵跡地顕彰碑(右)

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| 幕末・明治維新 | 06:18 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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