烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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天樹院墓所(毛利輝元の墓)

萩城のすぐ近くに藩祖・毛利輝元の墓所「天樹院」があります。


元は輝元の隠居所「四本松邸」があった場所で、寛永2年(1625)に輝元が亡くなると、ここで火葬され天樹院というお寺を創建して菩提寺としました。


 明治2年に寺は廃寺され、現在は墓所のみ残っています。


 天樹院とは輝元の法号です。




Dsc_1737 Dsc_1743
「天樹院」の山門(左)と、山門をくぐって右手にある輝元(天樹院)を火葬した場所(右)




 毛利輝元は毛利元就の孫で父・隆元が急死したため11歳で家督を継いでいます。当初は元就も健在で実質的には元就が実権を握っていましたが、祖父の死後も勢力を拡大し中国地方全体と九州の一部を支配下に治めます。


 織田信長とは、当初友好関係を結んでいましたが、都を追われた将軍足利義昭が領内に逃げ込み保護したため対立することとなります。


 そして、織田軍による中国攻めが行われる中、「本能寺の変」により信長が倒れると、天下人となった豊臣秀吉に臣従し五大老の一人になりました。




Dsc_1744 Dsc_1745
山門から墓へと続く道




 豊臣秀吉の死後、関ヶ原の戦いでは徳川家康に次ぐ勢力であった輝元は、石田三成に推されて西軍の総大将となります。しかし、自らは大阪城に入り出陣しませんでした。


 西軍が敗北すると輝元は大阪城を出て隠居します。家康は当初、毛利家を改易しようとしますが、輝元の従兄弟で東軍と通じ勝利に貢献した吉川広家の説得により周防・長門の2ケ国に減封することで決着しました。


 こうして誕生した長州藩が時を経て、幕末に幕府を倒す原動力となっていくのです。




Dsc_1746
天樹院(輝元)の墓




場所:山口県萩市堀内

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