烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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第26代内閣総理大臣・田中義一の像と生家

 萩城の後は萩博物館を訪れ、色々な情報を仕入れました。


 ところで、博物館脇の公園に大きな銅像があり、誰なのかよく見ると案内板に田中義一と書かれていました。


 田中義一は第26代内閣総理大臣で萩の出身です。



Dsc_1753 Dsc_1749
萩博物館(左)と田中義一像(右)



 田中義一は元治元年(1864)に藩主の駕籠かきを務めた田中家の三男として生まれ13歳のときには小学校の代用教員を勤めています。


 その後、陸軍大学校に入りロシアへも留学しています。日露戦争時にはロシア通として満州軍参謀を務め軍人としての地位を固めます。大正7年の原内閣の時には陸軍大臣・陸軍大将となり男爵にも叙されました。


 将来の元帥と言われましたが激務のためか狭心症で倒れ第一線から退いた後、回復後に政界への転身をはかります。


 当時与党第一党だった立憲政友会は首相の原敬が暗殺され混乱していて、後継の首相および総裁を高橋是清が勤めますが党内対立により分裂し第一党の地位を失います。


 是清は責任を取って辞任しますが、その後継として大正14年に立憲政友会総裁に田中義一が選ばれました。


 昭和2年に昭和金融恐慌が発生すると、その対応をめぐって若槻内閣が総辞職し、田中義一が第26代内閣総理大臣に就任しました。


 田中義一内閣では、元首相の高橋是清を大蔵大臣に起用し、大胆な金融政策により恐慌を沈静化させています。


 対外的には対中国侵略の強硬外交方針をとりますが張作霖爆殺事件によって昭和4年に辞職。その2ヶ月足らず後に狭心症でなくなります。享年66歳


 萩市呉服町には誕生地の碑が建立されていました。また、今回は訪問できませんでしたが、かんきつ公園内に別邸が残されています。



Dsc_1758
田中義一誕生地



  田中義一像:山口県萩市堀内(萩博物館脇の公園)



  田中義一誕生地:山口県萩市呉服町1丁目 (菊屋横丁)

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