烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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1月18日は本因坊秀哉の命日

 1月18日。本日は二十一世本因坊秀哉の命日です。
 先日、当時の様子を伝える新聞記事を入手し、詳細を知る事が出来ました。
 秀哉は昭和15年(1940)に喜代夫人と共に熱海を訪れ「うろこ屋旅館」(現存せず)に滞在します。翌16日には、作家の川端康成が訪れ午後から夕方まで将棋を手合わせしたほど元気だったそうです。翌17日に持病の「心臓衰弱症」が悪化し危篤となります。知らせを聞き、門下の村島五段、高橋・小杉両四段、京都の吉田五段(段位は全て当時のもの)らが駆けつけ看病しますが、秀哉は「こんどばかりはやられたよ…」とニコリと笑い、弟子達の労をねぎらったそうです。そして、18日午前6時55分。静かに眠るように秀哉は67歳の波乱の人生を閉じたのです。
 秀哉の臨終は、終焉の地となった「うろこ屋旅館」の部屋の窓から見える夜明けの海のように静かだったと当時の新聞は伝えています。
                          
 秀哉の遺体は、その日のうちに車で熱海を出発し世田谷区にあった自宅へ運び込まれています。その自宅のあった場所についてですが、先日、秀哉が新築時に知り合いに送った転居案内のハガキを入手しました。
 住所は「昭和5年 東京府北多摩郡砧村上之臺790」と記されていました。なお、死亡記事では「東京市世田谷区宇奈根町790」となっていて東京市への編入により地名が変ったようです。



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本因坊秀哉の引越し案内のハガキ



 ハガキに記された地図を頼りに場所を調べてみると。小田急線の祖師ヶ谷大蔵駅の近くで、長い年月で当時と道や目印に変化はありますが、現在の地図と見比べてみると、場所が想定できたので、さっそく現地へ行ってみました。
 現地を訪れてみると本因坊秀哉の晩年の自宅跡は現在は民家となっていました。しかし、その庭には「本因坊秀哉住居跡」という案内板が建っていたのです。ネットでの事前調査では跡地について触れられているホームページ等が見つかりませんでしたので案内板があったのは意外でした。場所が民家のため、積極的には紹介してなかったのでしょうか。ただ、平成元年に設置された案内板は老朽化により文字が読みにくい状態となっていました。



                   
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本因坊秀哉住居跡



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老朽化の進んだ案内板




本因坊秀哉住居跡:東京都世田谷区砧8丁目13−14



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