烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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久坂玄瑞誕生地

 高杉晋作達の誕生地がある城下町のエリアから離れますが平安古町に久坂玄瑞の誕生地があります。


 久坂玄瑞は吉田松陰の門下生で高杉晋作と共に松下村塾の双璧と呼ばれる秀才でした。松陰は二人を競わせることにより両者の才能を開花させようとします。また、松陰の妹が玄瑞へ嫁いでいます。


 松陰の死後、玄瑞は尊王攘夷運動の中心人物となり、行動も過激化していき、文久2年(1863)品川の英国公使館焼き討ち事件、翌年の外国艦船砲撃事件(下関戦争)が起こります。


 会津・薩摩の公武合体派による長州を中心とする尊王攘夷派への京都追放事件(8月18日の政変)が起こると武力により無実を訴えようとし「蛤御門の変」が勃発します。


 玄瑞は当初、武力進行を抑えようと努めますが強硬派を抑えることが出来ず戦いに参加します。しかし、結果は敗北で玄瑞は25歳の若さで自刃しました。



Dsc_1811
久坂玄瑞追悼碑



 玄瑞は天保11年(1840)に萩平安古(ひやこ)本町に、藩医・久坂良迪の三男として生まれます。しかし、14歳から15歳のときに両親、兄弟がすべて病で相次いで亡くなり久坂家当主となったそうです。


 玄瑞は歌人としての才能もあったそうで、誕生地には追悼碑、事蹟碑と共に歌碑も建立されています。


 また、誕生地入口にバス停がありましたが名前が「久坂玄瑞誕生地前」とそのままの名前となっていました。



Dsc_1813 Dsc_1812 Dsc_1816
事蹟碑(左)と玄瑞の詠んだ歌碑(中)と誕生地入口のバス停(右)

山口県萩市平安古町537

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| 幕末・明治維新 | 13:32 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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