烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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瑠璃光寺と香山墓地(毛利家墓所)

  山口市香山町にある瑠璃光寺は、大内氏の重臣・陶氏7代当主弘房が応仁の乱で戦死し、夫人が菩提を弔うために、文明3年(1471)に現在の山口市仁保高野に建立されました。


 現在の場所には室町時代に大内義弘(大内弘世の息子)が建立した香積寺があり、室町幕府3代将軍・足利義満は幕府権力の確立のため有力守護大名に対して争いを仕掛け弱体化を図りますが、義弘も義満との戦いに敗れ戦死したため、弔うために嘉吉2年(1442)には国宝五重塔が造営されています。


 その後、江戸幕府が成立し毛利氏が萩に拠点を移すと、慶長9年(1604)に香積寺も合わせて移転し、元禄3年(1690)に瑠璃光寺が移転してきました。


 


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瑠璃光寺境内(左)と本堂(右)



 幕末に藩庁が萩から山口に移されると、それ以降の藩主の墓は山口に造られました。


 瑠璃光寺の隣りにある毛利家墓所「香山墓所」には、13代毛利敬親と夫人、14代元徳と夫人、15代元昭と夫人、さらに毛利本家歴代諸霊の墓の計7基と初代秀就の母周慶寺殿の墓があります。


 また、墓所手前の石畳は、手を叩いたり、足を踏み鳴らすと反響して美しい音がするため「うぐいす張りの石畳」と呼ばれています。



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うぐいす張りの石畳(左)と毛利家墓所(右)



 13代毛利敬親は明治維新の際の藩主ですが、同時期に活躍した福井藩主・松平春嶽、宇和島藩主・伊達宗城 、土佐藩主・山内容堂、薩摩藩主・島津斉彬は幕末の四賢侯と呼ばれているのに対し、明治維新を成し遂げた長州藩の藩主・敬親については名前すら知らない人も多いのではないでしょうか。


 敬親は家臣の提言することには常に「そうせい」と答えてきたそうで、世間は密かに、「そうせい候」と、呼んでいたそうです。


 そこで、部下に任せきりで何もしない藩主だったと評する人もいますが、人を見る目は確かで身分にとらわれず常に有能な人物を手元に置き、有能な家臣がさんざん話し合った結果に対しては、どういう内容でも反対をしないという寛大さを持った名君であったと評する人もいます。


 木戸孝允は慶応4年のときに、すでに版籍奉還について敬親に相談し了解を得ていました。ただ、敬親は成功のためには時機を見計らうことが大切と助言し、恐ろしく聡明な藩主であると感じ取ったそうです。


 明治2年に版籍奉還が行われると家督を息子に譲り隠居。明治4年に亡くなります。享年53歳。


 墓所の近くには明治天皇が命じ、敬親の偉業を後世に伝える「勅撰銅碑」が建立されています。



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毛利敬親の墓(左)と、明治天皇の命で建立された「勅撰銅碑」

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