烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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八坂神社と築山神社

 龍福寺の北側に、八坂神社と築山神社という二つの神社が並んで建っています。
 八坂神社は大内24代弘世が、山口を京都を模した都市として整備した際、応安2年(1369)に京都の八坂神社を勧請した神社です。
 本殿は30代義興が永正16年(1519年)に再建したもので、室町時代の様式をよく伝え、重要文化財に指定されています。
 なお、現在地に移転してきたのは江戸時代末のことだそうです。

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八幡神社の鳥居と本殿



 八坂神社の隣りには築山神社があります。大内義隆を祭神として祀った神社で毛利輝元による創建です。現在地へは明治2年に移転しています。
 両神社のある場所は、もとは大内氏の別邸「築山館」があった場所です。フランシスコ・ザビエルが大内義隆に拝謁したのは大内館(現:龍福寺)ではなく、こちらではという説もあります。

Dsc_1558  Dsc_1568

築山館跡の碑(左)と築山神社(右)



 境内には様々な碑が建立されていました。大内氏30代当主・大内義興の顕彰碑や、江戸時代に燃えてしまいましたが、大内氏時代から名木として知られた「大内氏月見之松記念」の石碑もあります。



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大内義興の顕彰碑(左)と「大内氏月見之松記念」の石碑(右)



 室町時代の連歌師・宗祇が築山館を訪れた際に詠んだ歌碑が建立されています。

     「池はうみ こずゑは夏の 深山かな 」

 歌に読まれたとおりの豪華な庭園があったそうですが、現在は埋め立てられ僅かな遺構を残すのみとなっています。

 また、「箏曲組歌発祥の地」の碑も建立されています。

 大内義隆は天文年間(1532~54)に, 京から迎えた北の方を慰めるために, しばしば都の公卿殿上人や楽人などを招いて詩歌管弦の遊びを催しますが, ある時その席で7人の若い殿上人が一首ずつ歌を作り, つぎつぎに箏で弾き歌いすることが行われました。

 これが箏の組歌の起源であり, 歌の組合せなので組歌と言うそうです。


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宗祇の句碑(左)と「箏曲組歌発祥の地」の碑(右)




  山口県山口市大字上竪小路100



  

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