烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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不入岡遺跡

 伯耆国分寺跡から北西に1km余り行ったところに「不入岡(ふにおか)遺跡」があります。
 平成5年(1993)に倉吉市不入岡で土地区画整理による発掘調査で見つかった遺跡は奈良から平安時代にかけての大規模建物群で全国的にも例のない発見として話題となりました。
 遺跡は、その時期からⅠ期とⅡ期に分けられ、Ⅰ期は8世紀前半のもので、現在の伯耆国庁の前身的な施設であったと考えられています。つまり、万葉歌人・山上憶良が伯耆守として赴任していたのはここではないかという説があります。Ⅱ期は8世紀後半から10世紀にかけての施設で、巨大な掘立柱建物が軒を接するように10棟並列しており、当時の税にあたる調・庸を集積しておく伯耆国庁直轄下の倉庫群と考えられています。
 不入岡遺跡は、すでに国の史跡として指定されていた国庁跡、国分寺跡、法華寺畑遺跡に追加されて平成12年に国の史跡に指定(名称変更)されました。ただし、現在は遺跡は埋め戻され畑となっていて案内板があるのみです。



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不入岡遺跡



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現地案内板にある発掘当時の写真




 不入岡に隣接した所に「不入岡の石仏」があります。舟形の安山岩に、上に阿弥陀如来像、下に合掌した僧侶が刻まれています。南北朝時代の「永和」の年号が刻まれていますがこの時代の石造物は少なく大変貴重なものだそうです。「願主 道意」と刻まれているため、僧侶像は「道意」という人物であることが分かりますが、「道意」については確証はないものの、後醍醐天皇が流罪となっていた隠岐島を脱出した際に護衛し、建武の新政下で伯耆守として天皇近侍の武将となった「名和長年」の四男・行忠が法名・道意であるから行忠ではないかと考えられています。




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不入岡の石仏




「不入岡遺跡」「不入岡の石仏」  鳥取県倉吉市不入岡



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| 奈良時代 | 11:47 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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