烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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鶴ヶ城(若松城)2

 鶴ヶ城の城跡は「鶴ヶ城公園」として整備され、園内には様々な遺構や碑がありました。



 茶室「麟閣」は千利休の子(後妻の子で利休の娘と結婚)・少庵が建てたと言われる茶室です。



 利休が豊臣秀吉により切腹を命じられた際、一族すべてが処刑され、利休の茶道が途絶えるのを恐れた当時の城主・蒲生氏郷が少庵を会津に匿い徳川家康と共に助命を働きかけます。その結果、少庵は赦免され京都で千家を再興しました。



 少庵によって鶴ヶ城内に建てられた茶室「麟閣」は明治になり廃城となった際に場外に移築されますが、平成2年に再び場内へ戻されました。



 



 公園内に建立されている「萱野国老殉節碑」は、戊辰戦争時の国家老・萱野権兵衛の碑です。



 戊辰戦争での敗北後、萱野は城明け渡し等の敗戦処理を行うとともに、藩主・松平容保親子の助命嘆願を働きかけ、戦争責任を一身に背負って明治2年に切腹したそうです。



Dsc_2157 Dsc_2158
茶室「麟閣」(左)と萱野国老殉節碑(右)



 



 作曲・滝廉太郎、作詞・土井晩翠による名曲「荒城の月」のモデルとされる城跡の候補が全国に数ヶ所あるそうですが、土井晩翠は晩年、講演会にて鶴ヶ城がそのモデルであると語ったそうです。(作曲の滝廉太郎は別の城をイメージしているでしょうが。)



 園内には「荒城の月」の歌碑が建立されています。



 



                 
Dsc_2149 Dsc_2150
「荒城の月」の歌碑

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