烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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大阪城の史跡

 大阪城天守閣前の広場に碑があり撮影しましたが、後で調べてみると秀吉公手植えの樟を顕彰した碑だそうです。現在は新しく植えられた樟がありますが、この場所は江戸時代は本丸御殿の北端にあたり、江戸には樟があったそうで戊辰戦争時の火災によって枯死してしまい、明治初期にはその古株だけが残っていました。そして、その株にいつしか大坂城築城時に豊臣秀吉が手植えした樟であるとの伝承が生まれたそうです。しかし、実際には江戸時代に植えられた樟のようで、伝承は明治期の初期に生まれていたのではないかと考えられています。




Imag3207
緑樟碑(豊公手植の樟)




 大阪城天守閣の石垣の前に「残念石」という石があります。この石は元和6年(1620)に徳川幕府により城が再建された時に小豆島(香川県)の石切場で石材が切り出されましたが城の完成により多くの石が石切場に放置されていて使われなかったため「残念石」と呼ばれています。その中の一つが大阪城に持ち込まれたのですが、この石は黒田長政が担当した石切場にあったものだそうです。




Imag3218
残念石




 大阪城の小天守台にある井戸を金明水といい、それを覆う建物を金明水井戸屋形といいます。伝説では秀吉が、水の毒気を抜くために黄金を沈めたといわれますが調査により幕府による大阪城再建時に掘られたものである事が判明しました。
 井戸屋形は井戸完成後、寛永3年(1626)に創建されたもので、天守閣が焼失したときも類焼を免れ現在に至っています。




Imag3208
金明水井戸屋形


大阪府大阪市中央区大阪城1−1



 

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