烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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山鹿素行誕生地・直江兼続屋敷跡

鶴ヶ城の近くの山鹿町に江戸時代の儒学者であり軍学者であった山鹿素行誕生地の碑があります。揮毫は東郷平八郎によるものです。


 山鹿素行(やまがそこう)は元和8年(1622)にこの地で生まれ、6歳で江戸に出ます。9歳の時には林羅山の門下となり朱子学を学び、軍学を甲州流の小幡景憲らに学びます。


 朱子学を批判したために播磨国赤穂藩へお預けの身となりますが、赤穂藩において自らの流派「山鹿流」を教えました。


 門人には忠臣蔵で知られる赤穂四十七士を率いた大石内蔵助もいました。吉良邸討ち入りの戦法こそ山鹿流の兵法であり、討ち入りにより実践的な軍学として世間に知られるようになります。


 長州藩においては幕末に勤王の志士を多く育てた吉田松陰が養子となった吉田家は山鹿流の師範を務める家柄でしたし、松下村塾の創始者であり、実の叔父でもある玉木文之進も山鹿流の兵学者であることから松陰にも多くの影響を与えていると思われます。          



 山鹿素行誕生地 は大通りに面した交差点で立地条件の良い場所で、上杉家が越後から会津へ国替えとなった慶長3年(1598)から米沢へ転封となる慶長5年の間、筆頭家老の直江兼続の屋敷となっていました。


 豊臣秀吉の死から関ヶ原の戦いへと激動の時期をここで過ごしたのです。



P0116_1 P0116_3



P0116_2




福島県会津若松市山鹿町1-25

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