烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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銀河鉄道の夜・カムパネルラのモデル 河本緑石の句碑

 倉吉市の伯耆国分寺跡の近くにある、社公民館に句碑があったので誰のものか確認してみると、河本緑石の句碑でした。
 河本緑石は、明治30年に碑のある場所の近くの倉吉市福光で生まれ、中学時代に萩原井泉水の主宰する自由律俳句誌「層雲」に投稿し同人となり、後に選者にもなっています。種田山頭火や尾崎放哉も「層雲」で活躍しています。
 盛岡高等農林学校へ入学すると、宮沢賢治らと共に同人誌「アザレア」を発行し交流を深めていきます。
 倉吉に帰郷後、教員として教育活動に尽力する一方、自由律俳句や油絵、音楽等、多彩な方面で活躍しますが、昭和8年に生徒の水泳訓練中に海で溺れた同僚を助けようとして37際の生涯を閉じます。
 河本緑石の友人、宮沢賢治の代表作「銀河鉄道の夜」で、主人公「ジョバンニ」と一緒に旅をする友人「カムパネルラ」のモデルは諸説ありますが緑石ではないかという説があります。友人を助けようとして川で流され行方不明となったという設定からです。「銀河鉄道の夜」は賢治の死後に原稿が発見された未定稿の作品です。何回か推敲し書き直した原稿が混じっていて、欠落稿もあった事から、新しく刊行される度に原稿の研究が進み、ストーリーが変わっていった作品です。「カムパネルラ」は最後に書き直された原稿で新しく追加された登場人物で緑石が亡くなった時期とも重なっています。


句碑(社公民館)
    「空の潤ひ地の潤ひに鍬をとる」

Dsc_1245
社公民館

Dsc_1243
河本緑石句碑

 緑石が教鞭をとった「鳥取県立倉吉農業高校」の校門付近にも句碑が残されています。

     「あらうみの やねやね」(荒海の屋根屋根

 昭和9年に荻原井泉水の書により建立されたものです。

Dsc_1242 Dsc_1237
鳥取県立倉吉農業高校

Dsc_1234
句碑の説明の碑

Dsc_1235
河本緑石句碑

 ブログに載せるために情報を収集していたら、今月5月15日に倉吉市内の白壁土蔵群の一画に「河本緑石記念館」がオープンしたそうです。また、緑石の娘が倉吉市に隣接する三朝温泉の老舗「木屋旅館」へ嫁いだことから、温泉街で「木屋旅館」が運営する喫茶店「茶房 木木」の一角に「カムパネルラの館」という資料館が設けられています。

 社公民館 : 鳥取県倉吉市国分寺74-1
 鳥取県立倉吉農業高等学校 : 鳥取県倉吉市大谷166

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