烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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飯盛山~白虎隊士の墓

 江戸幕府の崩壊後、会津藩は新政府に恭順の意思を示しているのにも関わらず、旧幕府の中心として攻撃されることになります。



 会津藩では新政府と戦うため兵を年齢別に組織します。白虎隊(16~17歳)、朱雀隊(18~35歳)、青龍隊(36~49歳)、玄武隊(50歳以上)



 白虎と玄武は予備軍として組織されていましたが、戦いが厳しさを増し最前線へ送り込まれることになりました。



 白虎隊の上士で組織された士中二番隊は戸ノ口原の戦いに参戦し善戦しますが、最新式の兵器を使う新政府軍の前に敗走し飯盛山へたどり着きます。



 この時、飯盛山から見える城下に立ち上る煙を見た19名の隊士は城が落城したものと思い、この地で自刃するという悲劇が起こりました。



 隊士の遺体は埋葬されるのを許されず放置されていましたが、見かねた人々により密かに近くの寺に埋葬されていました。そして、明治2年に許可がおりて飯盛山に19士の墓が建てられました。墓の側には後に隊士を偲んで松平容保が詠んだ「幾人の涙は石にそそぐともその名は世に朽ちじとぞ思ふ」の歌碑があります。



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白虎隊士の墓(左)と松平容保公弔歌の碑(右)




 飯沼貞雄は自刃した隊士の中で唯一、助かった隊士です。彼の記録により悲劇の詳細な内容が判明しました。飯沼は通信技師として昭和6年・78歳まで生き、遺言により飯盛山へ遺骨を分骨し墓を建てました。



 隊士が自刃した現場は墓から少し離れた場所にありますが、そこからは今でも会津若松市内を見下ろすことかできます。




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飯沼貞雄の墓(左)と白虎隊士自刃の場所(右)
                   



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隊士自刃の場所から眺める会津若松市内

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| 幕末・明治維新 | 07:43 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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