烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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大久保利通の囲碁仲間 五代友厚

 五代友厚は幕末の薩摩藩士で、早くから頭角を現し、欧州視察に派遣されるなどして海外事情に精通していました。
 明治維新後は、大阪で官職に就き、大阪造幣寮(現・造幣局)設立に尽力します。その後、民間に転じて紡績業、鉱業、鉄道業などを幅広く手がけます。
 起業家として活躍する一方、野に下った木戸孝允を政府に呼び戻すために行われた「大阪会議」に参加するなど明治政府にも大きな影響力を持っていたそうです。
 また、堂島米会所(米の先物取引市場)の復興や、株式取引所条例の成立を受けて、大阪株式取引所(大阪証券取引所の前身)の発起人となるなど、大阪の経済的基盤の構築に尽力しています。他にも大阪商法会議所(現・大阪商工会議所)を設立し、その初代会頭に就任するなど、商都大阪の発展に多大な貢献をしました。
 五代友厚の趣味は囲碁であったと言われています。同郷の大久保利通は島津久光に接近するため久光の好きな囲碁を習い始めたといいますが五代は大久保の囲碁仲間でした。
 誕生間もない明治政府は政権が不安定で、征韓論を巡る対立から西郷隆盛、板垣退助らが下野したのに続き、台湾出兵を巡る対立により長州閥のトップ、木戸孝允まで山口へ帰ってしまいます。当時、新政府に対する士族たちの不満が高まっていて大久保だけでは政権運営は困難であり、事態を憂いた井上馨らの仲介により木戸の政界復帰に向けての話し合いが大阪でもたれることになります。この時、大久保は五代の屋敷に滞在し関係者と囲碁をしながら過ごしています。いわゆる「大阪会議」と呼ばれる話し合いには大久保、木戸、板垣らが参加し数回開かれますが話し合いは難航し、特に酒癖の悪い黒田清隆(後の第二代内閣総理大臣)が泥酔して暴れ会談は決裂かと思われました。しかし、木戸が囲碁会を開催して関係修復を図り再開。木戸の政界復帰が決まります。当然、この囲碁会にも五代は参加しています。
 大阪発展に寄与した五代友厚の銅像が「大阪証券取引所」と「大阪商工会議所」に建立されています。

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五代の設立した大阪証券取引所

Imag3317
大阪証券取引所前の五代友厚像

大阪府大阪市中央区北浜1丁目8−16

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