烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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会津武家屋敷~西郷邸

会津武家屋敷は江戸時代の会津藩家老西郷頼母の屋敷を中心に、福島県重要文化財である旧中畑陣屋や数奇屋風茶室、藩米精米所などの歴史的建造物が軒を連ねる屋外博物館です。


 西郷家は保科家(会津松平家)の分家で代々、会津藩の筆頭家老を務める家柄でした。


 万延元年(1860)に家老として松平容保に仕えた頼母は、容保が京都守護職の就任を要請されると強硬に反対し辞退を働きかけますが、容保の怒りをかい家老職を罷免されます。


 明治元年に戊辰戦争が始まると家老職に復帰し事にあたります。当初、会津藩は新政府に恭順の意を示していましたが、新政府は容保の死罪を迫ったため戦争へと突入していったのでした。



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会津武家屋敷入口(左)と西郷邸の門(右)



 西郷頼母邸の門の近くに柔道を行っている像がありますが、これは会津藩出身で小説・姿三四郎のモデルとなった西郷四郎の像です。


 西郷四郎は講道館柔道の創始者・嘉納治五郎の弟子で講道館四天王の一人と呼ばれた柔道家で明治以降ですが16歳のときに頼母の養子となっています。



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西郷四郎像(左)と玄関(右)
                  



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西郷邸外観(左)と藩主や上級武士を迎えた御成の間(右)
        



 戊辰戦争で会津城下へ新政府軍が進行した際に頼母の母や妻子を初めとする一族21名が、足でまといになると屋敷内で自刃しています。この出来事は白虎隊の悲劇と並び語り継がれています。


 頼母は会津を落ち延び函館で榎本武揚らと合流しますが、ここで捕まっています。明治以降、福島で神社の宮司等をして暮らし、明治36年に76歳で亡くなっています。


 なお、西郷邸は元々、鶴ヶ城近くにありましたが戊辰戦争で焼け落ちました。会津武家屋敷の建物は再建したものです。



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自刃の間



 



福島県会津若松市東山町石山院内1

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| 幕末・明治維新 | 06:22 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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