烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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淀屋の屋敷跡

 御堂筋で中之島へ渡るために土佐堀川に架かる橋を淀屋橋といいます。橋名の由来は、かつて、江戸時代の豪商・淀屋の屋敷が橋の南詰西側にあり米蔵の並ぶ中之島へ渡るために淀屋が架けたことに由来します。
 淀屋は、豊臣秀吉による伏見城築城や淀川の築堤工事を請負い財をなします。その後大坂の陣では徳川方に協力し、江戸時代に入り米市を開き、また金融業や廻漕業を営むなど経営の多角化をはかり、巨万の富を築きます。
 淀屋の屋敷は百間四方(約33,000平方キロメートル)の広さで、当時、貴重なガラスを多用した豪華な建物だったそうです。しかし、宝永2年(1705)5代目辰五郎のときに町人の身分を越える贅沢な暮らしぶりとされ、幕府により全財産を没収、所払の処分を受けます。これは各大名たちが淀屋に多額の借金をしていたため、それを踏み倒す目的で仕組まれたとも言われています。



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淀屋橋



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淀屋屋敷跡



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淀屋の碑





大阪市中央区北浜四丁目 淀屋橋南詰西側

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| 江戸時代 | 06:12 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

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