烏鷺光一の「囲碁と歴史」

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

淀屋一族の墓 大仙寺

 大阪市中央区谷町九丁目にある「大仙寺」には江戸時代の大豪商「淀屋」一族の墓があります。
 初代淀屋常安は豊臣秀吉より伏見城の造営や淀川の堤防改修工事を任され材木商として財をなします。二代淀屋言當の頃には中之島に米市を開き大阪を「天下の台所」と呼ばれる商都へと発展させていきます。
 淀屋は米市以外にも様々な事業を手掛け莫大な財産を築いていきます。諸大名は淀屋に借金を申し入れ、その総額は銀1億貫(現代の金額に換算しておよそ100兆円)にも上ったといわれます。
 そうした中、宝永2年(1705)、五代淀屋廣當の時に幕府の命により淀屋は突然闕所となります。公式な理由は「町人の分限を超え、贅沢な生活が目に余る」というものでしたが、実際には膨れ上がった各大名家への借金を棒引きにすることが目的であったとも言われています。
 その後の淀屋については以前紹介しましたが、四代淀屋重當は闕所処分とされる事を予想していたのか、番頭の牧田仁右衛門に暖簾分けをしています。仁右衛門は故郷の鳥取県倉吉市で商売を始めますが、重當は娘を仁右衛門に預け牧田家の娘として育ちます。こうして「淀屋」は復活し闕所から58年後には念願の大阪再進出を果たしています。以降牧田家当主は「淀屋清兵衛」を名乗っています。そのため最初の淀屋を「前期淀屋」、牧田家が再興した淀屋を「後期淀屋」と呼ぶ場合もあるそうです。
 幕末期の4代目淀屋清兵衛は「淀屋」が幕府により理不尽に闕所となったためか尊王攘夷運動に傾倒していきます。清兵衛は安政6年に突然、「淀屋」を閉じほぼ全財産を尊王攘夷運動の資金として朝廷へ寄進し明治維新に大きく貢献しました。しかし、忽然と世間から姿を消したためか「後期淀屋」については永らく存在は忘れ去られていました。近年、倉吉で「淀屋清兵衛」の墓が発見され、改めてその功績が見直されています。
 大阪の大仙寺には初代常安から四代重當までの墓があります。



               
Imag3406
大仙寺




Yodo1
初代淀屋常安





関連記事:大阪淀屋橋ゆかりの淀屋の墓 大蓮寺



大仙寺:大阪府大阪市中央区谷町9丁目5−6



スポンサーサイト

| 江戸時代 | 23:21 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT















非公開コメント

TRACKBACK URL

http://igoshi.blog.fc2.com/tb.php/251-18046b03

TRACKBACK

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。