烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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野口英世青春館

「野口英世青春通り」が出来るきっかけとなったのが、この「野口英世青春館」です。



 明治17年に建てられた蔵造りの洋館は、当時はアメリカで最新技術を学んだ医師、渡部鼎が開業した「会陽医院」として使われていました。



 平成16年より千円紙幣の肖像画に採用されている事でも有名な野口英世は、明治9年に現在の福島県猪苗代町で生まれました。一歳の時に囲炉裏に落ちて左手が大火傷により指がくっついてしまう障害を負い家業の農業を継ぐことが不可能となった英世は学問で身を立てようと猛勉強し猪苗代高等小学校に入学します。



 この時、恩師や同級生が募金活動をして集めた資金により「会陽医院」にて左手の手術が行われました。完全とまではいかなくても左手が使えるようになった英世は医術のすばらしさに感動し医師を志します。



 そして、高等小学校を卒業した英世は明治26年、16歳から3年間「会陽医院」で書生として医学の基礎を学びます。



 その後、東京へ出た英世は黄熱病や梅毒等の研究で世界的に知られる細菌学者となり、何度もノーベル賞候補に上がりますが、昭和3年にアフリカのガーナにて自らが研究していた黄熱病に感染し51歳で死亡しました。



 「会陽医院」であったたてものは現在「野口英世青春館」として、1階は喫茶店、2階は資料館となっています。



    



Dsc_2263 Dsc_2267
野口英世青春館




Dsc_2266  Sany0421
入口の野口英世像(左)と建物の案内板(右)




Dsc_2268 Dsc_2269
館内の様子




福島県会津若松市中町4-18



 

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