烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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勝龍寺城跡

 京都府長岡京市勝竜寺にあった勝竜寺城は、交通の要所に位置し南北朝時代に北朝方が南朝方の京都侵攻を防ぐために築いた城であると言われています。
 戦国時代には三好三人衆の勢力下に置かれましたが永禄11年(1568)、織田信長が、足利義昭を奉じて上洛する直前に勝竜寺城を攻撃。以降、勝竜寺城は信長の勢力下に置かれます。



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勝竜寺城公園



 元亀2年(1571)、細川藤孝(幽斎)が山城西岡一帯を信長より与えられ勝竜寺城を居城として、二重の堀を持つ堅固な城に改修します。また、天正6年(1578)には藤孝の嫡男忠興と明智光秀の娘お玉(細川ガラシャ)が勝竜寺城で盛大な結婚式を挙げ、新婚時代を過ごしたと言われています。細川藤孝は天正9年(1581)に丹後へ移封。勝竜寺城は京都所司代・村井貞勝の家臣が城主を務めています。翌年に発生した、「本能寺の変」では城は明智光秀側の城となり、「山崎の戦い」で敗走した光秀は勝竜寺城に帰城します。しかし、秀吉軍の追撃を受けて勝竜寺城から撤退。光秀は坂本城へ向かいますが途中で討取られています。このとき明智軍を破った秀吉は勝竜寺城に入城したそうです。その後勝竜寺城は一旦廃城となり、江戸時代の寛永10年(1633)に、永井直清が山城長岡藩へ封ぜられたときに修築。しかし、慶安2年(1649)に直清が摂津高槻藩に転封されたため再び廃城となり、以降再建されることはありませんでした。
 勝竜寺城では細川幽斎が碁会を開き、樹斎と宗心が碁を打っているという記述がいくつか見られる。



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高麗門と二層櫓



 本能寺の変以降、波乱の生涯を送ることとなる細川忠興・ガラシャ夫妻ですが、勝龍寺での新婚時代が生涯で最も幸せだった時期かもしれません。勝龍寺城の本丸跡は現在「勝竜寺城公園」として整備されています。本丸跡には当時使われていた井戸も発掘され当時を偲ぶことができます。



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細川忠興と玉(ガラシャ夫人)の銅像



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本丸井戸跡



京都府長岡京市勝竜寺13-1



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