烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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上杉家の菩提寺・林泉寺

 米沢市にある林泉寺は上杉家の菩提寺で歴代藩主の夫人の墓や直江兼続夫妻の墓があります。
 元々、上杉氏の本拠地であった越後の春日山城山麓に明応6年(1497)に建立され、上杉景勝が米沢へ転封となると、林泉寺もこれに従い移転しました。(越後にも林泉寺はそのまま残っています。)
 米沢では歴代藩主は廟所が造営され別の場所に葬られましたが、林泉寺には藩主の正室等が葬られ、引き続き上杉家から崇敬されてきました。
 見学は受付を済ませると本堂でお経をあげた後、謙信公の位牌や貴重な資料を見る事ができます。その後、墓地や庭園の見学となります。

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林泉寺本堂(左)と案内板(右)

 境内には戦国時代から江戸時代初期にかけて活躍した家老・直江兼続と夫人のお船の方の墓があります。
 上杉謙信の許で「義」の精神を学び、謙信の後継者・景勝を補佐し米沢藩の基礎を造りました。

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直江兼続夫妻の墓

 上杉家藩主の妻子が葬られている廟所は他の墓と区切られています。主な墓には案内板がありますので誰の墓かすぐに分かります。

 「仙洞院」(仙桃院)は上杉謙信の姉で、謙信の養子で米沢藩初代藩主の上杉景勝の実母です。幼い直江兼続を景勝の近習に推薦したのも仙桃院だと言われています。

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上杉家廟所入口(左)と仙洞院の墓(右)

 初代藩主・上杉景勝の正室・菊姫は武田信玄の六女で甲州夫人と呼ばれました。川中島の戦いで幾度となく戦った上杉と武田でしたが、信玄の跡を継いだ武田勝頼は、謙信亡き後、後継争いをしていた景勝と甲越同盟を結び支援しました。菊姫は同盟の証として景勝の元へ嫁いでいます。二人の夫婦仲は大変よかったそうで、菊姫が病死した際には景勝が大変悲しんだと伝えられています。

 鍋島夫人とは景勝の息子で二代目藩主となった上杉定勝の正室・市姫の事で肥前佐賀藩の初代藩主・鍋島勝茂の娘です。

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甲州夫人の墓(左)と鍋島夫人の墓(右)

 会津夫人は定勝の息子で三代目藩主の上杉網勝の正室で、会津藩初代藩主で徳川家光の異母弟であった保科正之の長女・媛姫の事です。網勝は跡継ぎが無いまま急死したため上杉家が改易されそうになりますが保科正之の計らいで高家吉良上野介と正室で網勝の妹である富子の間に生まれた綱憲を末期養子として迎えています。

 上杉駿河守勝周は四代藩主・上杉綱憲の四男で支藩・米沢新田藩の初代藩主です。つまり吉良上野介の孫にあたる人物です。

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会津夫人の墓(左)と上杉駿河守勝周(右)

 上杉鷹山公の側室・お豊の方の墓もありました。鷹山公は上杉家に養子に入り正室に先代で養父の重定の娘・幸姫を迎えますが、幸姫は脳障害、発育障害があったといわれ(30歳で病死)、後継者が絶える事を心配した重臣の勧めで十歳年上の上杉家分家の姫である、お豊の方を側室に迎えました。鷹山は四代藩主綱憲の曾孫、お豊の方は孫という間柄となります。

 鷹山は35歳で隠居し餐霞館で暮らしますがお豊の方も一緒でした。二人の間に生まれた子供はいずれも病死し、他に側室を設けなかったため結局、鷹山の血筋は途絶えています。

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鷹山公の側室・お豊の方の墓




  山形県米沢市林泉寺1-2-3



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