烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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淀城

 淀城は、安土桃山時代、豊臣秀吉が、側室茶々の産所として築かせた城として有名です。茶々は淀城に住んだことから淀殿と呼ばれることとなります。
 当時の城は現在の位置より北へ約500メートルの位置にありましたが、淀殿が大阪城へ移った後に城主となった豊臣秀次の家老・木村重茲が秀次に連座して粛清されると淀城は廃城となります。
 江戸時代になり、伏見城が廃城となると、江戸幕府は淀城ほ復活を決定。松平定綱に命じて新しい城を築城。以降、山城淀藩藩主の居城として明治まで続くことになるのです。城は明治以降取り壊されますが、本丸や石垣を利用して淀城跡公園が昭和43年に開園しています。




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石垣




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淀城跡公園




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堀跡




 公園内にある 「稲葉神社」は江戸時代初期の大名・稲葉正成公を祀った神社です。   
 淀藩は何回か藩主家が代わった後、享保8年(1723)に稲葉正成公の子孫である稲葉正知公が移封して以来、幕末まで稲葉家が治めています。
 稲葉正成公は三代将軍家光の乳母として絶大な権力を誇った春日局の夫でしたが、春日局が乳母となった頃に離縁しています。その後、家康に取り立てられて出世していくのですが春日局の影響力があったのかもしれません。淀藩主となった稲葉正知公は春日局の子孫でもあります。




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稲葉神社




 淀城跡公園には「唐人雁木跡」の碑もありました。江戸時代に国交を開いていた朝鮮からの使節団「朝鮮通信使」が度々、江戸を訪れますが、使節団は船で淀川を遡り淀で上陸した後、京都を経由して江戸へ向かっていました。雁木とは船の乗降に使用された桟橋のことです。




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唐人雁木跡





京都府京都市伏見区淀本町



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