烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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坂本龍馬ゆかりの寺田屋

 京都伏見にあった船宿・寺田屋は幕末に6代目の主人・寺田屋伊助が病に倒れて若死にすると、妻のお登勢が経営を取り仕切ります。人の世話をすることが大好きだったお登勢は、坂本龍馬をはじめとする尊皇攘夷派の志士たちを保護したことから、幕府も危険人物と見ていたと言われています。




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寺田屋




 寺田屋では二つの「寺田屋事件」とよばれる騒動が起きています。一つ目は文久2年(1862)に発生した薩摩藩士同士の争いです。
 薩摩藩主の父で事実上の指導者であった島津久光は文久2年(1862)に藩兵千名を率いて上洛します。尊王派は久光が朝廷を補佐し尊王攘夷に動くことを期待しますが久光はこの当時、公武合体を目指していました。
 そのため、久光に不満を持っていた薩摩藩の過激派な尊王派は公武合体派の関白九条尚忠・京都所司代酒井忠義邸の襲撃を計画し寺田屋に集結します。当時寺田屋は薩摩藩の定宿でした。
 久光は大久保一蔵(利通)等を派遣して騒ぎを抑えようと試みますが失敗。そこで彼らを藩邸に呼び戻して自ら説得しようとしますが、寺田屋の尊王攘夷派は藩邸への同行を拒否。ついに、薩摩藩士同士の激しい斬りあいが始まります。この戦闘によって双方に9名ほどの死傷者を出した後、尊王派志士たちは投降します。
 この事件により久光に対する朝廷の信望は大いに高まり、久光は公武合体政策の推進に取り組むこととなります。




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部屋




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刀傷の付いた柱




 もう一つの事件は慶応2年(1866)、薩長同盟成立に成功した直後に宿泊していた坂本龍馬を伏見奉行が捕縛しようとした事件です。龍馬も寺田屋を定宿としていました。
 龍馬と長州の三吉慎蔵は深夜に、幕府伏見奉行の捕り方百数十人に取り囲まれますが、いち早く異変に気付いたお龍が風呂から裸のまま階段を駆け上がり龍馬らに危機を知らせます。龍馬は拳銃などで防戦し、負傷したもののなんとか寺田屋からの脱出に成功。三吉は伏見薩摩藩邸に駆け込み龍馬の救援を依頼。薩摩藩は龍馬を救出し伏見奉行からの引き渡し要求を拒否します。龍馬は西郷隆盛の斡旋により薩摩で療養することとなります。龍馬とお龍は結婚し、薩摩への旅行は日本初の新婚旅行と言われています。




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お龍が入っていた風呂




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お龍が駆け上がった階段




 近年の調査で、現在の寺田屋は事件当時のものではなく、明治以降に再建されたものである事が判明。当時の寺田屋は「鳥羽伏見戦い」で焼失したそうです。寺田屋は現在も旅館として営業していて実際に宿泊することが出来ます。





京都府京都市伏見区南浜町263



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