烏鷺光一の「囲碁と歴史」

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

伏見桃山城

 京都伏見区にあった伏見城は豊臣秀吉が隠居後の住まいとするために築城されます。当初、文禄元年(1592)に伏見指月(現在の京都市伏見区桃山町泰長老あたり)に建設されますが完成直後に慶長伏見地震によって倒壊しました。そのため、指月から北東に約1kmほど離れた木幡山に城が再建されることになり、慶長2年(1597)に城は完成しますが、秀吉はその1年後の慶長3年(1598)に城内で亡くなっています。
 秀吉の死後、遺言により豊臣秀頼は大坂城に移り、伏見城へは五大老筆頭の徳川家康が入り政務を行います。関ヶ原の戦いの際には家康の家臣鳥居元忠らが伏見城を守りますが、西軍の攻撃により落城。建物の大半が焼失しました。
 その後、伏見城は慶長7年(1602)ごろ家康によって再建され、慶長8年(1603)には、伏見城で徳川家康が征夷大将軍の宣下を受けます。以後三代徳川家光まで伏見城で将軍宣下式が行われました。その後、家康は駿府城へ移り、京都での将軍の居城は二条城へ一本化されたことから元和5年(1619)に伏見城は廃城となります。このとき建物や部材は二条城、淀城、福山城などに移築されたそうです。伏見城の跡には江戸時代に桃の木が植えられて桃山と呼ばれるようになります。そのため伏見城は桃山城あるいは伏見桃山城とも呼ばれるようになりました。

Imag3540
正門

 現在の伏見桃山城の天守閣は昭和39年(1964)に伏見城花畑跡にオープンした遊園地「伏見桃山城キャッスルランド」のシンボルとして建設された鉄筋コンクリート製の模擬天守閣です。遊園地は平成15年に閉園され、現在は「伏見桃山城運動公園」となっていますが、当初取り壊される予定であった天守閣は地元の要望もあり市へ寄贈されました。しかし、耐震基準を満たすためには多額の費用がかかることから現在は内部非公開となっています。
 もともと本丸があった辺りは、現在「明治天皇桃山陵」となっているため発掘調査は行われず城の詳細は分かっていません。

Imag3541
模擬天守閣

京都府京都市伏見区桃山町大蔵45

スポンサーサイト

| 戦国時代 | 07:14 | comments:0 | trackbacks:0 | TOP↑

COMMENT















非公開コメント

TRACKBACK URL

http://igoshi.blog.fc2.com/tb.php/185-d669f684

TRACKBACK

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。