烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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桓武天皇陵(柏原陵)

 80年以上続いた奈良時代に終わりを告げ、平安京(京都)へ遷都し300年以上続く平安時代の礎を築いたことで知られる、第50代桓武天皇は、小学生の教科書にも掲載されている知名度の高い天皇です。
 桓武天皇は皇族の傍系の出身であったため当初は皇族としてではなく官僚としての出世を目指していました。
 奈良時代は代々天武天皇の子孫が天皇に即位してきましたが、度重なる政変による粛清で天武天皇系の候補者が途絶えたために、天智天皇系の光仁天皇が即位します。その皇子が桓武天皇なのですが、桓武天皇の生母は出自が低かったため当初、立太子は考えられていませんでした。しかし、政争により、他の候補者が次々と廃されたために、ついに皇太子となり、天応元年(781)に光仁天皇が退位して第50代天皇に即位します。そして、即位後すぐに同母弟の早良親王を皇太子に任命しています。
 当時、平城京では奈良仏教各寺の勢力が増し政治に影響力を及ぼしていました。また天武天皇の皇統から天智天皇の皇統に戻ったこともあり、桓武天皇は人身を一新しようと遷都を思い立ちます。そこで、側近の藤原種継に命じて長岡京を造営しますが、これに反対する勢力により種継が暗殺されてしまいます。
 激怒した桓武天皇は暗殺の関係者を厳しく処分しますが、皇太子早良親王も関与したとして廃太子の上、流罪に処します。無実を訴える親王は抗議のため絶食して亡くなりますが、その後、天災や皇族に不幸が続いたことから早良親王の祟りであるとされ、親王を「崇道天皇」と追尊し祀ったとのことです。そして、造営に関して不幸な事が起きた「長岡京」を僅か10年で廃止し、延暦13年(794)に平安京へ改めて遷都したのです。 
 桓武天皇の治世では東北地方を平定するため、坂上田村麻呂を征夷大将軍に任命し軍を派遣しています。また、既存の仏教が政権に関与して大きな権力を持ちすぎたことから、唐から帰国した最澄と空海を保護し、日本の仏教界に新たな動きをもたらしています。
 在位中の延暦25年3月17日(806年4月9日)に70歳で亡くなっています。




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柏原陵入口




 桓武天皇陵である柏原陵は伏見城の敷地内にあったこともあり中世以降、所在が不明となっていました。幕末に現陵が柏原陵であると定められましたが別の場所に存在するという説もあります。
 また、平安京最初の天皇であることから、明治28年(1895)に平安遷都1100年を記念して設立された「平安神宮」では幕末の孝明天皇とともに祭神として祀られています。




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現地看板




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柏原陵




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柏原陵







京都府京都市伏見区桃山町永井久太郎



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