烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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本因坊秀伯ゆかりの寺・常泉寺

 飯坂温泉にある常泉寺は約千年前に太平寺として創建され、慶長元年(1595)に福島長楽寺五世の僧、立質金祝和尚により中興開山されます。この時、境内に飯坂温泉の名湯の一つ「滝の湯」があったので、巌湯山の山号をもち常泉寺を寺号としています。
 七世本因坊秀伯は、飯坂温泉近くの陸奥国信夫郡大飯田村の農家、佐藤勝右衛門の長男として生まれ通称甚四郎といいました。
 五歳の時には周りの大人より囲碁が強く、11歳で江戸で本因坊門下となります。
 享保18年(1733)に故郷へ帰省中に師匠・六世知伯が24歳で急逝し秀伯は18歳で本因坊家を継承しました。
 秀伯21歳の時、「碁将棋名順訴訟事件」が発生しています。本因坊家当主が若くして亡くなり囲碁界全体が沈滞したのに対し、将棋界では20代の名人将棋所が誕生する等、隆盛を極めていたため、将棋七世名人・伊藤宗看が碁方と将棋方のこれまでの席次の変更を求めたもので、これは名町奉行として知られた当時の寺社奉行・大岡越前守の裁定で退けられました。この件がきっかけとなったのか囲碁界は活性化し秀伯七段昇進をめぐる争碁が井上春碩因碩との間で行われます。(林因長門入の碁所就任を秀伯が反対したという布石があった。)
 秀伯はこの争碁の決着がつかぬまま26歳で病のためになくなりました。先代に続き秀伯も若くして亡くなり、跡を継いだ伯元も29歳で亡くなったため囲碁界の暗黒の時代は九世名人察元登場までしばらく続くこととなります。
 常泉寺は秀伯の生家・佐藤家の菩提寺で秀伯が寄進した木魚が残されています。2008年には関係者の尽力により墓碑と顕彰碑が建立されました。

Dsc_1935 Dsc_1944
常泉寺の山門と本堂

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山門の前にある本因坊秀伯の顕彰碑

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墓碑案内の札と墓碑

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碁笥と碁盤をデザインした墓碑(左)と墓碑の裏側(右)

常泉寺:福島県福島市飯坂町西滝ノ町4

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