烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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津山藩歴代藩主の墓

 ペリー艦隊来航時に、米大統領国書の翻訳にあたり、「お玉ケ池種痘所」設立にも関わった蘭学者、箕作阮甫の出身である美作国津山藩(津山市)については、以前、谷中霊園にある11代将軍徳川家斉の十四男で、津山藩の第8代藩主となった松平斉民の墓を紹介したことがありますが、松平斉民の墓の脇にある新しい墓石が、歴代藩主のの墓である事が分かり、今回紹介させていただきます。
 墓石が新しかったため、前回気が付きませんでしたが、墓誌によると平成23年に墓域が整理され一つにまとめられたそうです。

松平家先祖代々の墓
松平家先祖代々の墓

 岡山県の山あいにある津山藩が立藩されたのは慶長8年(1603)のことで、最初の藩主は「本能寺の変」で亡くなった森蘭丸の兄である森忠政(森可成の六男)でした。
 元禄11年(1698)に森氏に代わって入ったのが、家康の次男である結城秀康を祖とする越前松平家宗家の松平宣富で、以後廃藩置県まで松平氏が津山藩を治めています。
 墓誌に刻また最初の名は三代・光長となっていますが、光長は初代藩主・松平宣富の養父で、結城秀康の孫にあたり、越後高田藩主でした。宣富は陸奥白河藩主松平直矩の三男で秀康のひ孫にあたり、光長の養子となっています。
 宣富の後を継いだ嫡男・松平浅五郎は僅か11歳で亡くなり嗣子が無かったため本来、御家断絶、改易となるはずでしたが、結城秀康の家系であることが考慮され、従兄弟の松平長煕(白河新田藩主・松平知清の三男)を末期養子として迎えることが特別にゆるされましたが、領地は10万石から5万石に半減、官位も冷遇されることとなります。津山藩が再び10万石に復活するのは、以前紹介した将軍家斉の14男松平斉民を第8代藩主として迎えた時です。
 墓誌には津山藩最後の藩主・松平慶倫の名もありました。慶倫は7代藩主松平斉孝の四男で、松平斉民の養子となっています。

墓誌に刻まれた歴代藩主の名
墓誌に刻まれた歴代藩主の名

東京都台東区谷中 寛永寺谷中墓地

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