烏鷺光一の「囲碁と歴史」

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

箕作秋坪の墓 谷中霊園

 先日、多磨霊園にある幕末の蘭学者、箕作阮甫の墓を紹介しましたが、谷中霊園には、阮甫の婿養子で、幕末から明治時代にかけて蘭学者、教育者として活躍した箕作秋坪の墓があります。

箕作家の墓所
箕作家の墓所

 箕作秋坪は、備中国(岡山県)の儒者菊池文理の次男として生まれ、江戸に出て箕作阮甫の門人になり、さらに緒方洪庵の適塾に入門しています。その後、阮甫の養子となり、幕府天文台で翻訳に従事、蕃書調所の教授手伝となります。
 文久元年(1861)幕府による文久遣欧使節に福沢諭吉らとともに加わりヨーロッパを視察、また、慶応2年(1866)には国境交渉の使節としてロシアへ派遣されるなど、幕末の外交交渉に活躍しています。
 明治維新後は東京に福沢諭吉の慶應義塾と並び称された洋学塾「三叉学舎」を開き、東郷平八郎、原敬らを輩出。明六社にも参加するなど啓蒙思想家としても活躍しています。

箕作秋坪の墓
箕作秋坪の墓

 箕作秋坪の墓の隣りには、次男の菊池大麓の墓があります。大麓は秋坪の実家である菊池家を継いでいます。
 菊池大麓は蕃書調所で英語を学び、慶応3年(1867)と明治3年(1870)の2度、イギリスへ留学し、ケンブリッジ大学で数学と物理学を学び学位を取得します。
 明治10年(1877)には東京大学理学部教授となり、その後、東京大学総長、学習院院長、京都帝国大学総長、理化学研究所初代所長等を歴任。明治35年(1902)に男爵を授爵されます。
 一方、政治家としても活躍し、明治23年(1890)に貴族院勅選議員に勅任され、第2次松方内閣、第3次伊藤内閣で文部次官に就任。明治34年(1901)には第1次桂内閣で文部大臣を拝命しています。

菊池大麓の墓
菊池大麓の墓

谷中霊園 乙5号2側(低地側飛び地)
スポンサーサイト

| 明治・大正時代 | 07:00 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

COMMENT















非公開コメント

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。