烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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武蔵の姉の嫁ぎ先 平尾家

 宮本武蔵生家跡前の交差点に鎌坂道と書かれた鳥居がありますが、これは讃甘(さのも)神社の鳥居で、鎌坂道の入口となっています。
 鎌坂道は、山陰の因州鳥取と山陽の藩州赤穂を結ぶ因幡街道で、鳥取藩池田候の参勤交代の道でした。また、古くは後醍醐天皇が隠岐脱出の際にここを通って京都へ向かったと伝えられています。この先の鎌坂峠付近は、現在でも舗装されていない竹林となっています。少年時代の武蔵も佐用・平福の母のもとへ何度もこの坂道を通ったと言われています。

鎌坂道入口
鎌坂道入口

旧播州因幡街道の案内図
旧播州因幡街道の案内図

 余談ですが、宮本武蔵生家跡付近のマンホールの蓋は、武蔵の里らしく、 宮本武蔵の二刀流の刀と武蔵作「瓢箪鯰図鐔ひょうたんなまずずつば」が描かれていました。これは美作市となる前の旧大原町時代に造られたものだそうです。

マンホールの蓋
マンホールの蓋

 鎌坂道入口の鳥居をくぐったすぐ左手に、武蔵の姉おぎんが嫁いだ平尾家があります。慶長5年(1600)、16歳の武蔵が武者修行に出立する際に立ち寄り家の道具、証文、家系図、十手、素槍などを姉・おぎん夫婦に渡したと伝えられています。その後、おぎんの二男・九郎兵衛景貞がここに居住し、武蔵家を相続。そのときに作られた庭の池や茅葺き屋根の建物が現存していますが、現在も住居として使われているため外観のみ見学できます。

平尾家
平尾家

説明板
説明板

岡山県美作市宮本
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