烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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武蔵神社と宮本武蔵の墓

 武蔵生誕地碑前から因幡街道を200メートル程進んだところに「武蔵神社」があります。「剣聖」宮本武蔵を祀る神社として、昭和46年(1971)に建立されています。
 生涯負け無しの武蔵にあやかりたいと、合格祈願や必勝祈願などに多くの人が訪れ、絵馬が奉納されていました。

武蔵神社の石段
武蔵神社の石段

武蔵神社
武蔵神社

吉川英治奉納の絵馬
吉川英治奉納の絵馬

 武蔵神社の隣りには、宮本武蔵と、その両親である平田武仁夫妻の墓があります。
 生涯60余度の戦いで一度も負けなかった武蔵は、晩年、熊本藩主・細川忠利に客分として招かれ熊本に移り住み、正保2年(1645)に亡くなります。武蔵は熊本に葬られますが、生まれ故郷の宮本村に、養子の伊織が分骨し墓が建立されたと伝わっています。
  武蔵の父親については、宮本伊織が、承応3年(1654)に記した「新免武蔵玄信二天居士碑」で、新免無二といい、十手術の兵法家であったと記しています。無二は室町幕府将軍家師範の吉岡と試合をして、一度目は吉岡が勝利、二度目は無二が勝利したと言われています。
 どういう人物であったか諸説ありますが、美作地方の地誌「東作誌」では室町時代中期以降、美作国を支配した新免氏の家老の平田武仁が新免無二であると記されています。
 小説家・吉川英治が「宮本武蔵」を執筆した際には、この説を採用して現在の美作市宮本が武蔵の故郷として物語が展開していきます。
 平田武仁夫妻の墓は、武蔵の墓と並んで建立されています。

宮本武蔵と平田武仁夫妻の墓
宮本武蔵と平田武仁夫妻の墓

岡山県美作市宮本
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