烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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竹山城跡

  宮本武蔵の父、平田無二が家老として仕えた新免氏の居城、竹山城の城跡へ行ってみました。標高430mの山頂にあり登山道が整備されていますが、電波塔もあり、細くて急な道ですが車で行くこともできます。

竹山城跡
竹山城跡(山頂)

登山道入口
登山道入口

看板
看板

 竹山城の築城時期は不明ですが、南北朝時代に山名時氏が美作に侵攻した際に攻略し、支配下に置いたという記録があります。しかし、応仁元年(1467)に勃発した「応仁の乱」(山名宗全が西軍総大将)の混乱に乗じ、赤松政則が美作に侵攻、竹山城を赤松氏の一族宇野入道が拠点としています。
 その後、明応2年(1493)に同族の新免貞重が竹山城に入城し、その支配下に置かれていましたが、天文年間に、出雲の尼子氏が備中・美作に侵入し、激しい攻防の末、新免氏は領地を失ってしまいます。
 永禄3年(1560)、尼子晴久の死去により尼子氏が衰退すると、代わりに台頭してきた毛利勢や中国地方進出を狙う織田勢などにより激しい攻防戦が繰り広げられていますが、当時の当主、 新免宗貫は、羽柴秀吉に協力した宇喜多直家に仕え領地を奪回。武蔵の父、平田無二が家老として仕えていたのはこの頃でしょうか。
 その後、豊臣政権では宇喜多秀家に従い朝鮮出兵に出陣するなど活躍した新免氏ですが、慶長5年(1600)の「関ヶ原の戦」で宇喜多氏は西軍に与したため改易となり、新免氏も所領を没収。その後、新免氏は福岡黒田藩に迎えられ、黒田藩の家臣として明治維新まで存続しています。

竹山城跡
竹山城跡

竹山城跡から眺める武蔵の里
竹山城跡から眺める武蔵の里

岡山県美作市下町
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