烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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渋谷氏と金王八幡宮

 久しぶりに渋谷にある「金王八幡宮」にお参りしました。江戸時代、数学の問題が書かれた算額が奉納され、安井算哲(渋川春海)の活躍を描いた「天地明察」の舞台ともなった神社です。

門


 金王八幡宮や、渋谷警察署、ヒカリエなどがある辺りは、この後を支配した渋谷氏の居城、渋谷城の跡地で、金王八幡宮はその城内に建立された八幡宮だったそうです。
 渋谷氏は、永保3年~7年(1083-1087)に東北地方で起きた「後三年の役」で、源義家のもとで活躍した、河崎土佐守基家が、武蔵谷盛荘七郷(渋谷、代々木、赤坂、、麻布など)を領地として賜ったことに始まり、基家の子の河崎重家が御所で盗賊を退治した恩賞として「相模国高座郡澁谷庄」と「澁谷」という姓を賜っています。 それにともない、蔵谷盛庄も渋谷と呼ばれるようになったそうです。

社殿
社殿

 「金王」の語源は渋谷姓を賜った「渋谷重家」が、嫡男誕生を八幡宮に祈願し、跡継ぎの「渋谷金王丸」が生まれたことに由来すると言われ、境内には金王丸の木像が納められた「金王丸御影堂」があります。
 渋谷金王丸は、『平治物語』『吾妻鏡』『平家物語』にも登場し、江戸時代には歌舞伎や浄瑠璃でも描かれた人物です。
 1156年に起きた『保元の乱』で、源氏の棟梁・源義朝の元へ馳せ参じた、金王丸は武勲をたてその名を轟かせます。しかし、1159年の『平治の乱』で源氏は平氏に敗れ、源義朝一行は東国に落ち延びていきますが、その途中、義朝は尾張国野間(愛知県知多郡)にて暗殺されてしまいます。義朝を守り切れなかった金王丸は、都にいる常盤御前に義朝の最期の様子を伝えると剃髪し、「土佐坊昌俊」と名を改め義朝の菩提を弔っていました。
 平清盛が亡くなり、義朝の子、源頼朝が平家打倒を掲げ挙兵すると土佐坊昌俊も頼朝の元に馳せ参じ、頼朝の弟の義経の活躍もあり、ついに平家は滅亡します。
 しかし政権の安定を図りたい頼朝は、京にいた義経に謀反の疑いをかけ土佐坊昌俊に討伐を命じます。結局、100名足らずの軍勢で上洛した昌俊は、義経の返り討ちにあい命を落としますが、この事件は最初から義経を討つことが目的ではなく、正式に義経を討伐する口実を作るためだったとも言われています。源頼朝は、命をかけた金王丸の忠節を偲び、鎌倉の館から金王八幡宮に桜を移植し「金王桜」と名付けます。金王桜は江戸時代には江戸三名桜の一つと称されています。

金王丸御影堂
金王丸御影堂

【関連記事】 金王八幡宮

金王八幡宮 : 東京都渋谷区渋谷3-5-12
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