烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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明治村三丁目、四丁目の建物

  「北里研究所本館・医学館」は、日本の細菌学の先駆者である北里柴三郎が大正4年(1915)に芝白金三光町に建てた研究所の本館です。
 ドイツに留学し、細菌学の世界的権威のコッホに師事した北里は、破傷風菌の培養、破傷風の血清療法により学界に認められています。帰国後、日本初の伝染病研究所を設立しますが、大正3年(1914)に研究所が東大に移管されると、これに反発し、北里研究所を設立。そして、その拠点として建てられたのが、この建物です。建築様式は北里が学んだドイツのバロック風を基調にしています。

北里研究所本館・医学館
北里研究所本館・医学館

室内
室内

 「芝川又右衛門邸」は、明治44年(1911)、現在の西宮市甲東園に大阪で唐物商(輸入業)を営んでいた豪商、芝川又右衛門の別荘として建てられた建物で、設計は、後に京都帝国大学建築学科を創設する武田五一が行ったそうです。

 現在、高級住宅街として知られる「甲東園」は、又右衛門が明治29年(1896)に果樹園「甲東園」を開園したのが始まりで、大正10年(1921)に近くを通る阪急今津線(当時、阪神急行電鉄西宝線)が開通すると、又右衛門は、設置費用と土地一万坪を阪急に提供し駅建設を依頼。その土地が現在の高級住宅街へと開発されていきます。
  「芝川又右衛門邸」は、ヨーロッパのグラスゴー派やウィーンのゼツェッションと日本の伝統建築である数寄屋(茶室)が融合した洋館ですが、当初、杉皮張の外壁であったのが、関東大震災の影響で、昭和2年(1927)に耐火性に優れたスパニッシュと呼ばれる建築様式に変更されるなど、増改築を繰り返し大きく変貌を遂げています。
 阪神大震災で被災したため、平成7年(1995)に解体され、平成17年から始まった修復工事により、平成19年に再建されています。

芝川又右衛門邸
芝川又右衛門邸

 明治新政府は、学校教育において体育では、西洋より体操を取り入れ、日本古来より伝わる武道は顧みられることはありませんでした。しかし、嘉納治五郎が柔道を創始するなど武道が再評価され、徐々に、学校体育に武道が加えられるようになっていきます。
 「無声堂」は大正6年(1917)に金沢の第四高等学校に建てられたもので、柔道、剣道、弓道の三つの道場を兼ねていました。柔道場では床の弾力を増すため床下にスプリングを入れ、剣道場では音の反響を良くするため床下に共鳴用の溝を掘るなど工夫が凝らされた構造となっています。

第四高等学校武術道場「無声堂」
第四高等学校武術道場「無声堂」

室内
室内

明治村:愛知県犬山市字内山1番地
 北里研究所本館・医学館 : 3丁目25番地
 芝川又右衛門邸 : 3丁目68番地
 第四高等学校武術道場「無声堂」 : 4丁目34番地
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| 明治・大正時代 | 07:03 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

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