烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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明治村二丁目の建物

 明治新政府は、廃藩置県後、県内の行政を効率的に行うため、「郡区町村編制法」を施行し、郡長が、県令の指示のもと郡内の町村の行政を行う体制をとります。。山梨県は当初4郡に分けられ、明治13年(1880)には9郡に改編されていますが、この時、東山梨郡も誕生し、30の村が編入されています。
 「東山梨郡役所」は、当時の山梨県令藤村紫朗により明治18年(1885)に建設。正面にベランダを廻らせ、中央棟と左右翼屋で構成される構造は、当時の官庁建築の特徴で、現在重要文化財に指定されています。

東山梨郡役所
東山梨郡役所

 木曽路の中程にあった妻篭と木曽福島の中間地点、須原に、明治30年代に建てられた清水医院は、地元出身の清水半次郎により開業した医院で、土蔵造りでありながら、窓をアーチ形にするなど、洋風のデザインが模されています。
 この清水医院には島崎藤村の姉園子が入院していたそうで、園子をモデルにした小説「ある女の生涯」では、須原の蜂谷医院として清水医院の様子が記されています。

清水医院
清水医院

 清水医院は、玄関を入ると待合室と薬局があり、薬局には小さな投薬口が設けられていました。待合室の襖(ふすま)には様々な養生訓が書かれています。

室内
室内

 実用的な電話がアメリカ人のベルにより発明されたのが1876年、明治9年のことで、その翌年には日本にも紹介されています。
 明治23年には東京と横浜で電話交換業務を開始、その後、徐々に全国に普及していきます。明治村にある「札幌電話交換局」は明治31年(1898)に竣工、同33年(1900)から交換業務を開始しています。
 外壁は石で築かれ、窓は西欧でよく用いられていた上下階で異なるデザインが採用された建物は、当初、明治43年(1910)創建と思われていましたが、移築のために解体されたことにより、この年は増築された年で、実際は、明治31年に竣工した貴重な建造物であることが判明、重要文化財に指定されています。

札幌電話交換局
札幌電話交換局

室内展示物
室内展示物

 明治村の二丁目に、明治40年まで名古屋電気鉄道(現名古屋鉄道)の電車として名古屋市内を走り、その後、札幌の市電として活用されてきた木造電車が、札幌市交通局の特別協力により、期間限定で公開されています。
 「名電1号形」は、明治34年に製造され、明治40年まで名古屋で使用されていた26人乗りの木製電車で、その後、札幌電気軌道が購入し、大正7年に札幌初の路面電車「29号」として活用しています。昭和2年より札幌市が市電として譲り受け、昭和11年頃まで札幌市民の足として親しまれていました。

名電1号形
名電1号形

明治村:愛知県犬山市字内山1番地
  東山梨郡役所 : 2丁目16番地
  清水医院 : 2丁目17番地
  札幌電話交換局 : 2丁目21番地

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