烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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暖香園 本因坊秀哉引退後終局の地

 伊東温泉の中心街にある「ホテル暖香園」は、囲碁史においても有名な場所です。
 本因坊家最後の当主、本因坊秀哉は昭和13年(1938)に引退を発表し、木谷實を相手に引退碁が行われることになります。
 引退碁の打ち初めは6月26日に、現在東京タワーが建っている場所にあった「紅葉館」で行われ、持ち時間40時間、封じ手制を初めて導入し、20回の打ち掛けをはさみ場所を変えながら12月4日に終局し、木谷が5目勝ちとなります。その最後の対局地となったのが「ホテル暖香園」なのです。
 引退碁を企画しした「東京日日新聞」(現毎日新聞)は、川端康成に観戦記者を依頼。『東京日日新聞』、『大阪毎日新聞』両紙に観戦記が連載されます。川端康成は、後にその様子を小説『名人』として発表。当然、「ホテル暖香園」も小説の中に登場しています。
 なお、本因坊秀哉は、引退碁終局から一年あまり後の昭和15年(1940)1月18日に亡くなっています。

暖香園
暖香園

暖香園玄関
暖香園玄関

静岡県伊東市竹の内1丁目3番6号
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