烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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伊東温泉 按針メモリアルパーク

 伊豆半島の西にある土肥から、車で山を越え、東海岸にある伊東市の伊東温泉まで行き、一泊しました。
 伊東温泉の開湯は平安時代とも言われ、江戸時代には徳川家光への献上湯も行なわれるなど古く歴史ある温泉です。
 伊東温泉は、都心からのアクセスも良好。湧出量は本州最大級で、庶民的な民宿から、大型観光ホテルまで多種多様の宿が点在する温泉街です。

伊東温泉
伊東温泉

 温泉街を流れる松川が海岸で出るところ、なぎさ橋際に日本初洋式帆船を建造した三浦按針(ウィリアム・アダムス)の事績を記念した「按針メモリアルパーク」があります。
 イギリス人であるウイリアム・アダムスは、12歳の頃から船大工の棟梁に弟子入りし造船、天文学航海術を学び、25歳で海軍に入るとドレイク艦隊の船長をつとめています。
 1598年にオランダの東洋遠征隊に航海長として参加しますが、航海は悲惨なもので、5隻110名でスタートした船団も、宗教問題で対立するポルトガル・スペインによる拿捕や襲撃、また寄港地で赤痢の蔓延があり次々に船や船員を失い、ただ1隻となったリーフデ号も航行不能となり1600年に九州へ漂着。この時、残った船員は、わずか24名だったそうです。
 時は「関ヶ原の戦い」が行われる半年前、徳川家康は五大老首座として大阪城にてウィリアムを取り調べますが、彼の人柄を気に入り家臣として登用。江戸日本橋に屋敷が与えられ、家康に数学・地理学を、幕府要人に砲術・航海術・天文学などを教えると共に、家康の外交顧問に就任しています。
 家康の命令で西洋式帆船を建造することとなったアダムスは、メモリアルパークがある松川河口に造船ドックを設け、慶長9年に日本初の洋式帆船80トンを建造します。
 その後再び家康の命令で、大型船120トンを建造しますが、この船は慶長15年に遭難して船を失ったフィリピン前総督(スペイン)ビベロに貸与され、太平洋を横断、アメリカを経てメキシコに渡っています。
 これらの功績により、アダムスは250石の旗本に取り立てられ相模国逸見に領地も与えられます。またこの時に「三浦按針」の名前も与えられています。「三浦」は領地のある三浦半島にちなみ、「按針」は、彼の職業である水先案内人の意味だそうです。

 「按針メモリアルパーク」には昭和62年〈1987〉に建立された按針の胸像や、平成16年〈2004〉に帆船建造400周年を記念して建てられた標柱があります。

按針メモリアルパーク
按針メモリアルパーク

 公園内には昭和24年〈1949〉に建立されたイギリスの詩人エドモンド・ブランデンの詩碑があります。
 ブランデンは大正13年(1924)に来日して東京帝国大学で3年間、英文学の講師を務めています。さらに戦後の昭和23(1947)に文化使節として再来日。3年間、各地を廻り講演を行っています。
 詩碑は二度目の来日の際に、かつての教え子との懇親会が伊東で行われたのがきっかけで、同じイギリス人である三浦按針の偉業を讃え建立されたそうです。

エドモンド・ブランデン詩碑
エドモンド・ブランデン詩碑

 公園の隣りにある伊東市観光会館の前に「伊東音頭」の碑が建立されています。「伊東音頭」を作詞したのは北原白秋です。
 北原白秋は伊東出身の詩人、木下杢太郎と親友で、しばしば杢太郎の生家を訪れただけでなく伊東には長く滞在していたこともあったそうです。
 白秋は昭和2年に、静岡鉄道の依頼を受け、全国的に有名な静岡民謡「ちゃっきり節」を作詩しています。このことを知った杢太郎の兄で2代目伊東市長の太田賢治郎は、白秋に伊東の民謡製作を依頼。昭和4年に「伊東音頭」と「伊東小唄」が作られています。

伊東音頭の碑
伊東音頭の碑

静岡県伊東市渚町6
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