烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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秀和の実家「土屋家」の墓所

 最福寺のご住職に、本因坊秀和の実家の土屋家の墓所へ案内していただきました。
 秀和」の幼名は、「土屋俊平」といい、文政3年(1820)に生まれています。父の土屋和三郎は、俊平が9歳の時に、一緒に三島のお祭りに出かけますが、その際、沼津に住む12歳の少年と俊平が囲碁の対局をし、俊平が四子で負けたことに腹を立てて、そのまま俊平を江戸に連れて行き本因坊丈和に預けて帰ってしまったそうです。
 事情を聞いた家族に激しく非難された和三郎は、仕方なく江戸へ戻り俊平を引き取りに行きます。その帰途、再び沼津の少年と対局した俊平は、今度は互先で打ち分け、この結果に気を良くした父親は家族を説得。正式に丈和の門下生にしてもらったと言われています。

秀和の実家「土屋家」の墓
秀和の実家「土屋家」の墓

 父親のあり得ない行動により、秀和は本因坊家継承への道を切り開いていくことになるのですが、父の「和三郎」という名は、歴代当主が名乗っていた名前だそうで、土屋家の墓所には複数の和三郎の墓があります。
 そこで、秀和の経歴と照らし合わせてみたところ、文政13年に亡くなった和三郎が秀和の父親であることが判明しました。

秀和の父「土屋和三郎」の墓
秀和の父「土屋和三郎」の墓

 ところで、秀和の後、本因坊家を継承したのは、秀悦、秀栄、秀元の三人の息子たちです。秀栄も秀元も本因坊引退後は土屋姓を名乗っていて、現在の巣鴨の本妙寺にある歴代本因坊家の墓所は秀和の子孫の土屋家により管理されています。
 秀和の子孫の土屋家と、実家の土屋家は、現在、特に交流はないそうですが、平成18年(2006)に秀和が囲碁殿堂入りした際には、関係者の働きかけで両家が揃って授賞式にのぞんだそうです。

墓石に刻まれた和三郎の名
墓石に刻まれた和三郎の名

 土屋家の墓所から富士山を眺めることが出来ます。幼い頃の秀和も、ここから富士山を眺めていたのでしょうか?

墓所から眺める富士山
墓所から眺める富士山

 秀和の実家の土屋家の墓所の、一つ下の段にある墓所が、本家の土屋家の墓だそうです。下記写真の右側に並んでいる墓石の中にある五輪塔が武田家家臣・土屋昌恒の次男で小下田の土屋家の初代である土屋喜盈、つまり秀和の先祖の墓だそうです。

土屋家本家の墓
土屋家本家の墓

 墓所へ向かう道から、土屋家を見下ろすことが出来ます。

秀和の実家
秀和の実家

静岡県伊豆市小下田1667 最福寺の近く
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