烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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新暦調御用所(天文台)跡

 新宿区袋町の光照寺前の「日本出版クラブ会館」の塀に「新暦調御用所(天文台)跡」の案内板がありました。



 案内板によると戦国時代にこの場所から光照寺にかけて「牛込城」がありましたが、徳川家康が江戸にやってくると廃城となりました。



 「日本出版クラブ会館」の建っている場所には歌舞伎や講談で有名な「極付幡随長兵衛」(きわめつき ばんずい ちょうべえ)で長兵衛が惨殺された旗本・水野十郎左衛門の屋敷があったと言われています。芝居は明暦3年(1657)に実際に起こった事件をもとにしています。



 当時、天下太平が続いて旗本の中には堕落して「旗本奴」と呼ばれる集団を作って江戸の町で乱暴を働く者が居ました。一方「町奴」と呼ばれる侠客は町人と連帯感を持ち、旗本奴と頻繁に争乱を起こしています。ある日、町奴の頭領・長兵衛は旗本奴の頭領・水野の酒宴に招かれます。罠であると周りは止めますが、相手を恐れて行かないと笑いものになると出席し、そこで斬殺されてしまいました。長兵衛の敵討ちで町奴と旗本奴の乱闘が始まる中、水野十郎左衛門に切腹の沙汰がくだるというお話です。十郎左衛門は家名断絶となっています。




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日本出版クラブ会館




 享保16年(1731)に発生した大火により、ここは更地にされ火除地となりますが、明和2年(1765)に当時使われていた暦「宝暦暦」の不備を正すため、この地に「新暦調御用所(天文台)」を設置し改暦作業を行ったそうです。



 昨年、映画「天地明察」で紹介されたとおり、日本初の国産の暦は、囲碁家元・安井家出身の渋川春海(安井算哲)の手により完成した貞享暦(大和暦)で貞享2年(1685)から70年間使われました。



 徳川吉宗の時代になると、吉宗は積極的に西洋の知識を取り入れたため、暦についても新技法を取り入れた改暦作業に取り組みます。しかし、吉宗が亡くなったことにより、改暦の主導権は朝廷側の土御門家に奪われ「宝暦暦」が完成します。



 「宝暦暦」は宝暦5年(1755)より採用されますが日食の時期を外すなど不備が多かったため幕府では天文方の佐々木文次郎に命じ暦の修正を行いました。修正された「宝暦暦」ですが貞享暦より出来が悪いという評価が付きまとい、各地で不満があったため寛政10年(1798)に新しい「寛政暦」に切り替えられます。



 一方、天文台の方ですが暦の完成後も観測のため存続していましたが目の前にあった光照寺の木が大きくなり観測に支障が出始めたため天明2年(1782)ごろに浅草へ移転したそうです。




Imag0034
現地案内板
                       



   日本出版クラブ会館:東京都新宿区袋町6
                





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