烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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久能山東照宮1

 静岡市駿河区根古屋、久能山の山頂にある「久能山東照宮」は、晩年を駿府で過ごした徳川家康公が元和2年(1616)に亡くなった後、遺命により、最初に埋葬された場所です。
 久能山(標高216m)には、もともと久能寺という寺院がありましたが、永禄11年(1568)、駿府へ進出した武田信玄により、この地に久能城が築かれます。その後、駿河を支配下に治めた徳川家康公も、久能城を重要視していて、死後、西国ににらみをきかすために自らを祀らせたと考えられています。
 家康公の遺命は久能山への埋葬と日光山への神社造営であり、2代将軍・秀忠公は家康公を葬った久能山に東照社(現・久能山東照宮)の社殿を造営するのとほぼ同時に東照社(現・日光東照宮)の造営を始めています。やがて、家康公の遺骸は日光へ改葬され、東照社は3代将軍・家光公による大改築で、現在のような豪華絢爛な建物となります。当時、家光公は久能山の整備も命じ、この時に社殿以外の透塀、薬師堂(現・日枝神社)、神楽殿、鐘楼(現・鼓楼)、楼門などが増築されています。
本殿、石の間、拝殿は平成22年(2010年)に、国宝に指定されています。

楼門
楼門

 勅額御門とも呼ばれている楼門には、後水尾天皇の宸筆である「東照大権現」の扁額が掲げられています。

後水尾天皇による扁額
後水尾天皇による扁額

 楼門から唐門にかけての境内には、かつて久能山東照宮のシンボルとも言える五重塔がありましたが、明治時代の神仏分離令を受けて取壊され、現在、礎石のみが残されています。

境内
境内

葵の御紋の水桶
葵の御紋の水桶

 「鼓楼」はもともと鐘を突く鐘楼でしたが、明治時代の神仏分離により仏教施設である釣鐘が撤去され、中身が太鼓へと替えられました。「鼓楼」の太鼓は江戸城にあったものを奉納したと伝えられています。

鼓楼
鼓楼

静岡県静岡市駿河区根古屋390
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