烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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発掘調査中の駿府城天守台

 駿府城に天守閣が建てられたのは慶長12年(1607)、将軍職を2代秀忠に譲った家康が、「大御所政治」の拠点として駿府城を大改修したときです。しかし、完成直後に火災により本丸や天守閣は全焼。直ちに再建工事が開始され、翌年に本丸御殿が、そして慶長15年(1610)には天守閣が復活します。
 天守閣は五層七階の壮観な建物で、城下町からは富士山と並び立って見えたと伝えられています。天守閣が光り輝き駿河湾の魚が怯えて漁師が困ったという伝説も残されるほど、江戸を凌ぐ政治の中心地、駿府城のシンボルとしそびえ立っていました。
 しかし、家康没後の寛永12年(1635)に再び火災により焼失し、以後再建されることはありませんでした。また、残された天守台の石垣も、明治29年に陸軍の静岡連隊を誘致するにあたり解体され埋められてしまったため、天守台の全容は謎に包まれています。

発掘現場
発掘現場

 天守台跡は広場として活用されていましたが、徳川家康没後400年の節目である今年、静岡市のビッグプロジェクトとして謎に包まれた天守台の発掘調査が開始されました。調査は4年かけて行われ、日本初の「天守台発掘調査の見える化」をコンセプトに、「発掘情報館きゃっしる」では、発掘されたばかりの出土品を速報展示。発掘調査の様子も見学することが出来ます。

発掘現場入口
発掘現場入口

姿を現した石垣
姿を現した石垣

出土した鯱
出土した鯱

 東御門・巽櫓の資料館には、残された資料をもとに作成された駿府城の模型が展示されています。
 天守台には天守閣だけがあったわけではなく、曲輪の形状し、その中央に天守閣を配置した「天守丸構造」だったと考えられています。天守台の大きさは、南北約54m〜56m、東西約47m、石垣の高さは、本丸堀の水際から約19m(本丸地表から約13m)とされ江戸城よりも大きな建物であったと考えられています。

駿府城の模型
駿府城の模型

駿府城公園 : 静岡市葵区駿府城公園1-1
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