烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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駿府城公園

 駿府城が築城されたのは天正17年(1589)、武田が滅亡し駿河を含め五カ国を支配することとなった徳川家康が居城として築城したもので、最初の城は現在の二ノ丸部分までの規模だったそうです。ちなみにこの辺りは元々、今川氏の館があった場所と考えられています。
 その後、家康は豊臣秀吉の命により江戸へ移りますが、秀吉の死後、天下統一を果たし江戸幕府を開いています。
 慶長10年(1605)将軍職を息子の秀忠に譲った家康は、隠居のための城として再び駿府城の改修に着手。この時、外堀が築かれ天守閣も築城されています。
 慶長12年(1607)に本丸が完成しますが、間もなく失火により焼失。翌年には再建され、慶長15年(1610)には天守を完成させています。家康公は、駿府城に入ってからも政治力を発揮し亡くなるまで「大御所政治」と呼ばれる江戸と駿府の二元政治が行われています。ちなみに、家康は駿府城主ではなく、正式な城主は後に紀州徳川家の祖となる徳川頼宣だったそうです。
 元和2年(1616)に家康公が亡くなった後、寛永元年(1624)に秀忠の息子の忠長が城主となりますが、忠長は兄の3代将軍家光との対立により甲府への蟄居となり、以降、駿府城は城主不在となり、幕末まで城代が置かれることとなります。
 明治以降、静岡市や陸軍により管理されていた駿府城は、戦後、本丸、二ノ丸部分を「駿府公園」として整備されます。
 そして、平成元年には、市制100周年記念事業として、巽櫓が復元、平成8年に東御門が復元、平成24年には、名称を「駿府城公園」と改めています。

東御門と巽櫓
東御門と巽櫓

二ノ丸水路
二ノ丸水路 (本丸堀と二ノ丸堀を結ぶ水路)

駿府城公園案内板
駿府城公園案内板

徳川家康像
徳川家康像

紅葉山庭園
紅葉山庭園

静岡市葵区駿府城公園1-1
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