烏鷺光一の「囲碁と歴史」

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

≫ EDIT

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

| スポンサー広告 | --:-- | comments(-) | trackbacks(-) | TOP↑

≫ EDIT

浜松城の囲碁史

 そういえば、浜松城での囲碁の話について触れていませんでしたので紹介します。
 家元を幕府に取り立てるなど囲碁界を庇護してきた徳川家康ですが、いつごろから囲碁を始めたかは良く分かっていません。
 家康の記録で碁の記述が見れるのは天正15年からで、駿府城築城間もない頃、娘婿の奥平信昌が師匠の本因坊算砂とともに訪ねてきて、そこで家康は算砂と日夜対局したというものです。家康は元々、人が碁を打つのを見ても、周囲に迷惑をかけるだけで何の役にもたたないと思っていたそうで、浜松時代はあまり囲碁に興味がなかったかもしれません。
 ただ、浜松城ではこのような出来事がありました。後に家元林家の初代となる林門入斉は幼少の頃より囲碁が強いことで知られ、それを聞きつけた家康は、浜松城で対面し、その実力が認められると剃髪して京都にて坊主衆として取り立てられています。

 この他、江戸時代最初に浜松城主となった松平忠頼(桜井松平家)は、慶長14年(1609)に従弟の水野忠胤の江戸屋敷に招かれて宴席に参加しますが、そこで忠胤の与力である久米左平次と服部半八が囲碁の勝敗をめぐって口論となり、それを仲裁しようとして左平次によって刺殺されています。一説には忠頼がしきりに服部に対して助言をしたのが原因とされています。

浜松城

静岡県浜松市中区元城町100−2

【関連記事】 囲碁が原因で改易となった大名 水野忠胤
スポンサーサイト

| 囲碁が関わった出来事 | 10:26 | comments:0 | trackbacks(-) | TOP↑

COMMENT















非公開コメント

PREV | PAGE-SELECT | NEXT

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。