烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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宝台院 徳川慶喜謹慎の地

 宝台院の墓の隣りに「徳川慶喜謹慎之地」の碑が建立されています。
 最後の将軍となった徳川慶喜公は、江戸城無血開城後、恭順の意を表して水戸にて謹慎していましたが、その身柄が駿府に移されることとなります。
 慶応4年(1868)に船で清水港に上陸した慶喜公は、陸路東海道を通って宝台院に入ると、明治2年(1869)に謹慎が解かれるまでここで暮らします。
 なお、慶喜と親交のあった新門辰五郎は慶喜に同行し、宝台院近くに居を構えると慶喜を警護していたといいます。
 明治新政府の監視下におかれていた慶喜公は、旧幕臣に会うことを極力避けていたそうですが、勝海舟、山岡鉄舟、高橋泥舟、らは頻繁にお見舞いに訪れています。「日本資本主義の父」と呼ばれ、囲碁界とも関わり深い渋沢栄一は、慶喜に仕えていましたが、大政奉還当時はパリに居て、帰国後、宝台院に慶喜を訪ねます。ここで、慶喜は渋沢に「これからは自分の道を行くように」と諭し、これ以降、渋沢は官僚、実業家として日本の近代化に尽力していくこととなります。

徳川慶喜謹慎之地
徳川慶喜謹慎之地

 ところで、囲碁の愛好家であった徳川慶喜公は、宝台院での謹慎中に囲碁を打っていたのでしょうか。謹慎が解かれた後は狩猟や写真と趣味に没頭し、囲碁も頻繁に打っていたそうですが、宝台院時代は謹慎中でもあり自粛していたのかもしれません。ただ、逆に室内で出来る囲碁は寺での生活には最適な気もしますが?
 囲碁といえば、宝台院の宝物室で囲碁の対局がデザインされた漆器の箱を見つけました。琉球王国から贈られたものだそうです。

徳川家康公の位牌
ご本尊の対面にある徳川家康公の位牌

静岡県静岡市葵区常磐町2丁目13-2
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