烏鷺光一の「囲碁と歴史」

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浄土宗金米山 宝台院

 浄土宗の「金米山 宝台院」は、永正4年(1507)に「龍泉寺」として創建されます。
 天正17年(1589)に駿府城にて徳川家康の側室で、2代将軍徳川秀忠の生母である「西郷の局」が亡くなると「龍泉寺」に葬られ菩提寺となります。
 寛永5年(1628)に秀忠は、現在地に大伽藍を建て、母親の大法要を営んでいますが、この時、京からも勅使が派遣され、西郷の局に従一位が追贈されます。そして、戒名も「宝台院殿一品大夫人」と改められると共に、寺名も「金米山宝台院龍泉寺」となり、一般的に「宝台院」と呼ばれるようになったそうです。

宝台院
宝台院

 西郷の局(お愛の方)は、家康公が浜松城に居城し、三方ヶ原の戦い、設楽原の戦い、小牧長久手の戦い等、最も苦難の時代に、城の台所を仕切り、家臣に最も人望のあった人物だったそうです。
 武田を滅ぼし東海の覇者となった家康公は、天正14年(1586)に駿府城へ入りますが、共に入った西郷の局は、3年後に38歳の若さで亡くなっています。

宝台院(西郷の局)の墓
宝台院(西郷の局)の墓

 宝台院境内にある「キリシタン燈籠」は、戦国大名・古田織部が製作し、駿府城へ奉納したものと伝えられています。
 奉納されたキリシタン燈籠は、キリシタンであった家康の侍女「ジュリアおたあ」が祀り厚く信仰されたと言われています。「おたあ」は文禄の役において日本へ連れてこられた李氏朝鮮の両班(支配階級)の娘と言われ、家康は側室に迎えようとしましたが固辞し、キリスト教からの改宗も断ったため遠島となっています。その後、灯篭は奉行所を経て宝台院に移されています。

キリシタン灯篭
キリシタン灯篭

 宝台院のかつての本堂は、京都の二条城と同じ材料を使い華麗な装飾がほどこされた建物だったそうですが、昭和15年の静岡大火で全焼してしまったそうです。
 現在の建物は鉄筋コンクリートで、本尊の白本尊の両脇に徳川家康公の旗印「厭離穢土」「欣求浄土」の文字が並んでいます。
 白本尊は、芝増上寺の黒本尊と共に家康公の守り本尊となった阿弥陀如来立像だそうで国の重要文化財に指定されています。
 本堂の上の階が宝物室となっていますが、まずはご本尊にお参りして、そこで説明の音声を聞いてから上がるシステムになっていました。なお、土日祝祭日は基本的に拝観出来ないそうですので注意して下さい。

白本尊阿弥陀如来立像
白本尊阿弥陀如来立像

静岡県静岡市葵区常磐町2丁目13-2
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